怪我の功名、棚ぼた身に付かず。
もう日付が変わってしまったので、これは「昨日の事」になります。先週と今週とは我が家は「何かが降りて来た」期間であるかのようで、次男、私、長男、再び次男、と見えない矢に胸を射抜かれて文字通り倒れました。まず、先週の頭から次男が発熱鼻水を伴った夏風邪をこじらせ、続いて彼を看病していた私へそれが丸ごと納品され、週末にグズグズとした体調なりにそれぞれが浮上しかかった所で、週明けの長男の発熱。しかも、長男は夏バテ気味であった為、ここ最近食欲が落ちていました。ですからこの彼の発熱に関しては、保護者側の油断というのもあったと思います。偏食気味の所に加えて、最近の気温上昇で食傷気味になっていた長男が、休日明けの朝から不機嫌に朝食へ手を付けないでおりました。具合が悪いのかと思って検温してみましたが、我々大人で言う所の微熱でありました。平熱が元より高めの彼でしたから、私はまた通常の事であるとして、取りあえずは支度を整えて登園させる事にしました。
園に到着してもやはりモジモジする長男。5歳になり、自意識が際立って来た彼は普段から見知った人に対しても尖がった素振りを見せるようになっておりまして、それさえいつもの行事だと思ってそのまま長男を送り出しました。続いて別の園に送らなければならない次男を背負っておりましたので、出勤時間迫る中、軽くバイバイタッチをして私は一路、少し離れた次男の保育園へ。機嫌良く登園してくれた次男に「お前、やっぱり空気読める奴だよな」と第二子独特の美点を見出し、スムーズにお別れ。そこまでは良かったのですが。
職場へ向かう電車へ滑り込んだ途端に私の携帯電話に着信が来ました。長男の保育園からの連絡でありました。車内であったのですぐには取れなかった為、職場への最寄りの駅で折り返しの電話を保育園の方へ入れました。
「あ、ご出勤途中でしたか」
「ええ、すみません、それで、何か」
「『長男くん』がお熱です、今、39度あるんですが、お迎えをお願い出来ますか」
……マジですか。このタイミングで。ああ、息子よ、冷たい母で本当に申し訳ない、でも、言わせて欲しい。「母の有給が、上半期が終わらぬ内に消化されてしまいそうだよ」
その場で早速、職場へは休暇の断り連絡を入れて、逆の路線の電車へ改札口も通らずにUターンです。ただ、こういう時の子供と言うのは熱はあるのに妙に元気があるもので、果たして迎えに上がった長男も、さてどこにさほどの高熱が、と思える程のわんぱく振り。職員室の一角に設けられた簡易ベッドで見守り看護をされていたような形跡はあるものの、一睡もした形跡は無く、無邪気に乗り物図鑑などを眺めて寝床に座っておりました。私の顔を見るなり「今日は『早(はや)お迎え』?」などと呑気な口調でまるで他人事。「すみません、ご心配をおかけしまして」と頭を下げる私と、同じくらい眉毛をハノ字にした保健師の先生が「こちらこそお呼び立てしてすみません」と会釈する様子を眺める息子の手を引いて、しばらく後に、退園して参りました。帰宅して念の為、検温してみた所、発熱のピークは過ぎたのか高熱というよりも朝方の微熱に戻っており、お迎え要請は誤報であったのでは、といらぬ勘ぐりを入れたくなる程の息子の元気さ。そのままにしておくのも障りがあろうかと小児科を受診するも、掛かり付けの医師からも「そんな高熱には見えないけどねー」とのお返事。「お薬出しましょうか」と尋ねられたので「じゃあ、万が一の夜中の発熱の為に、熱冷ましをいただけましたら」と上目遣いに言上したところ「ではカロナール3回分出します、熱が上がらなければ使用しなくても大丈夫ですから」との親身なお返事をいただき帰ってきました。
帰りがけに、近所のテニスクラブを通りかかったので、以前から気になっていた事をついでに息子に訊いてみました。「テニス、やってみたいって言ってたよね、今でも、やってみたいと思うの」と。そうなのです、水泳、剣道、公文、と、どんな習い事の話を振っても全くの喰い付きを見せなかった長男なのですが、隣接するテニスクラブで行われているほのぼのテニスサークルの様子をとても気にしており、割と幼い頃から散歩の折にはフェンス越しに頻繁にそこで行われている練習や試合を眺めておりました。体調も悪く無い事であるし、熱もさほどではない事ですし、何より本人が本当にこれから遊びにでも繰り出して行きそうなくらいに活力が有り余ってそうでしたので、何気なく水を向けて見ました。そうすると息子は迷う事なく「テニスやってみたい」と顔を上げるので、私はその足でテニスクラブの事務所に息子同伴で立ち寄りました。
で、その夕方に体験レッスンを受ける事に相成りました。しかもマンツーマンで、1時間、みっちり。本来は在校生の同年代の生徒が2人入るはずだったのですが、折悪く、その2人ともに休みになったので、結果的に息子とコーチの個人レッスンになってしまったのでした。500円の参加料金で。
初めて触れるラケット、初めて触れるボール、個人レッスンは年明けすぐのスキーレッスン依頼ですが、しばらくぶりの他人との、しかも一対一の1時間。どうなる事かと思いましたが、思いの外、集中力も途切れず、癇癪も起きず、心も折れず、まずまずの頑張りを見せてくれた彼でありました。いや、まあ、仮にも熱を出したままであったのですが、それでありながら、上出来な程の頑張りで乗り切りました。
その頃には長男の発熱を心配した主人も早くに仕事を切り上げて帰宅しておりましたので、先生の指示に従い、右に左に、テニスボールに必死に追い縋ろうとしている息子の姿をコートの外から2人して見守る事になりました。少しこらえ性の無い5歳児です。普段の彼を知っている私としては、思うように球に追いつかない彼が、中盤辺り、足がもつれかかってきた辺りから泣き出すのではないかと思っていました。ワンバウンドしたボールをラケットに当てる課題がなかなか出来ず、ふとした瞬間に集中が切れて、やけくそに腕を振り回してみたり、転がったボールをしつこく追い回して遊びをいれてみたり。傍観していても、強張った彼の笑顔が、かなりの苛立ちを抱えている事を物語っているのが解りました。「ちょっと、キレ気味ですな」と私が言えば「まあ、これに耐えられたらいいんだけどな」と主人。「続けるか、続けないかは、今日の体験レッスン以降の話だ」と腕組みをし、苦笑しながら主人は息子の小さい背中を見ておりました。
1時間が長男にとって長い時間であったのか、短い時間であったのか。ただ、彼はレッスン終了後、「またやりたい」と頬を紅潮させて私の手を握ってきたのでありました。上手に彼を盛り上げて下さった先生のご尽力、さすがです。
またとない経験が出来た午後。確かに病欠の幼児が行うような模範的な午後の過ごし方ではありませんでしたが、ここはまた、オフレコで暗黙処理でよろしかろうと思います。終わりよければ、の言い回しは不適切ではありますが、よろしく収まったので、恐らくまあ、それで。
そして、幼子が2人いれば、締めくくりが美しくまとまるはずもなく、同じ日の、長男がテニスに胸をワクワクさせていた頃とちょうど同時刻に、次男の保育園から主人の携帯電話に連絡が入りました。
「あのう、こちらでお預かりしている『次男くん』なんですが、昼ぐらいから目ヤニが凄くて、目が開けられない程になりまして。どうやら、結膜炎のようなのですが……、お迎え、来られますかね」
不吉なドミノを笑顔で倒す、可愛い悪魔が降ってくるよう。