あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

萌エイズル、緑ウルハシ。

 苔玉を職場で育てていると、以前、書いた気がします。大人の拳ほどの大きさで、頂上にラカンマキが1本生えています。空調の効いた室内で、窓際の空いたデスクに異動させたり、昼休憩にテラスで水遣りしたり、建物の植栽の近くで陽に当てたりしながら楽しく成長を見守って来ました。ここ最近、子供達と私自身の体調不良とで休暇が連続した折には「枯渇」の危機を経験しました。水遣りが出来ないまま、窓際のデスクで程よい空調にさらされ続けておりましたので、やっと出社が叶った私が様子を見に行った際には、苔玉に含まれていたはずの水分が完全に飛んでしまっており、野ざらしのスポンジのように手触りやら重量もスカスカになっておりました。始業までのわずかな時間にビニール袋で苔玉を覆い、早速それへ水を注ぎ、口を縛ってしばらく戸外へ放置。存分に吸水させて、乾燥激しい過酷な環境で必死に試練に耐えた小さな命を労ってやります。

苔玉記事はここから始まりました。↓)

akarinomori.hatenablog.com

 待ちかねた昼休みに「ビニールプール」から取り出してやると、朝方にはあんなに元気が無かった苔玉が、ラカンマキの葉をツヤツヤに光らせて、健気に完全復活しておりました。そのまま、緑のカーテンとして栽培されているゴーヤのプランター脇に苔玉を安置し、半日陰で日光浴。夕方にまた状態を見に行くと、素晴らしい回復を見せておりました。

 植物は、実に可愛いです。過保護でも上手に生育しませんし、放置プレイでも根腐れや日焼けを起こしたり、ただ物言わぬだけで、きちんと「生きている」という自己主張を我々の方に投げて寄越すのです。手がかかる事も、面倒である事も、勿論、我が子とは比べものにならないレベルではありますが、ひっそりと日々変化していく緑色の枝葉を観察していると折々に見せる表情が何かを語りかけてくれているようでもあります。

 味を占めて、今、我が家の北向きの玄関にはパキラとテーブルヤシが鎮座しております。どちらも苔玉同様、100円ショップで購入して参りました。ビニールの簡易容器に植えられた状態であったものを、ホームセンターで土と鉢を入手してゆったりとした空間に植え替えました。適度な放置と適度な世話で、見惚れるほどに青々とした美しい若木に成長してくれました。また、空き地で拾ってきた楓の苗木と、ホームセンターで安売りされていた月美人(「月下美人」ではない)という多肉植物と、水草であるホテイアオイとが我が家のベランダで肩を並べております。楓はエリンギの空きパックに穴を開けて土を詰めた手製の植木鉢に植えました。双葉で拾ってきたものが、現在は5枚ほどの手のひらみたいな葉を広げています。月美人はこれも鉢を大きなものに変えて出来るだけの日当たりを求めて狭いベランダ内をあっちに動かしこっちに動かし、そうして雨に極力当てないように工夫しながら「放置」しております。ただ、根が弱いので、ちょっとした衝撃で倒れてしまうのが目下の悩み。温暖湿潤の日本の気候では、管理が難しいのはもしかしたらこの類いの手合いであるかもしれません。ホテイアオイは時々公園の池に大量発生して景観問題になるほどの繁殖能力が旺盛な水草です。日光と水があればそれこそ爆発的に増えていく底力を秘めているので、あえて、ヒヤシンスの水栽培のようにインスタントコーヒーの空き瓶に水を張ってその広口瓶の上に突っ込んで置くことにしました。水もあるし、日光もあるし、無いのは膨張できるスペースだけという環境にして計画的に管理です。その飼い主への反抗でもあるのか、紫色の可憐な花を咲かせる気配はいっこうに見せず、ただ、黙然と水の中へたわしの如き黒々とした根を垂らして、変わり映えの無い表情を毎日、瓶の縁に乗せております。

 そうそう「ベランダ組」に、もう一種類の仲間がおりました。シダ植物である「シノブ」です。夏場によく縁先から吊されている「吊りシノブ」が有名ですが、あの着生植物であるシノブです。さして大きくもならず、土の善し悪しも論外で手間のかかる土壌の入れ替えや増加も必要とせず(何しろ、宿り木のように大木の枝の股などに自生する習性ですので)逞しくありながらどこか飄々として、時折強く吹く南風に青く茂った細かい葉を涼しく揺らしております。日本に育つ植物であるので、寒さ暑さ湿気にも適応し(シダですからそもそもが湿った地面も得意)、乾燥にも負けず(木の上で生活を営んでいるので、とにかく丈夫)植物初心者である私に、多大な自信を育んでくれる頼もしい奴で有るというのはとりあえず間違い有りません。

 家事、育児、仕事に大半を割かれる私に、今更の「植物の手入れ」が加われば、なるほど、寿司詰め状態になったスケジュールが崩壊の危機に陥るであろうと思われます(実際、主人は私の「この小さな土いじり」に悲観的)が、これはこれで、精神衛生を健やかに保つ不思議な、そしてささやかな作用をもたらしてくれているようです。

 陽が陰り、ようよう涼やかな夕風が吹く頃に、慈しみつつ水を鉢に注いでいると、腹の深い部分から、さざ波のように波紋を広げていく温かいものがあります。

 小さな小さな緑達に、一時の慰めを御裾分けしてもらうこの瞬間を、私は心から美しいものであるなあ、と思うのでありました。