あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

アローハ、オエ。

 夏の雲は表情が豊かで、とても抒情的で好きです。買い物帰りの薄青い空に、逞しい入道雲がそびえ立っているのは、見応えがあって胸が高鳴るように思います。目の前に立ち塞がる巨大な雲の山脈は、膨らんだ裾を豪胆に引きずって、物凄い速さで私の頭上に迫ってきます。目が痛くなる程の眩しい白が、頂上付近で輝いているのに反し、決壊寸前の濁流を抱えた低層部分は、不機嫌な様相でゆっくりと蠢きながら空の青味を贅沢に食い潰してくるようなのです。

 「暑いなあ」とか「身体中がベタベタで気持ちが悪い」とか、とかく険しい顔に成りがちな周囲の人々を、更に無口にさせるような鬱陶しい肥大した雲。ムッチリ、嵩(かさ)を増しながら雨の気配を連れて来る積乱雲。

 蒸し込めるような7月の息苦しさと違い、8月は何か、こちらへ挑みかかって来るみたいな豪快さを感じます。空き地に生えた雑草さえ実に乱暴な有様を晒し、好き勝手に地面を埋めて自由に伸び広がっていくのです。日が陰れば、焼き切れるような暑さを耐え忍んでいたミンミンゼミやアブラゼミが狙いすましたごとくに、ワっと声を張り上げ始めます。けれんみなんて微塵も無い、薄っぺらい取り繕いの真似事さえ無い、色気の無い、真っすぐな灼熱が8月という月には根付いているように思うのです。

 ファッションに疎い私にも、夏にこそ利用したいアウターがあります。

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 パウスカート。ハワイの「フラ」(ダンスの意)を踊る際に、女性が身に付ける舞踏用のスカートです。原住民が使用する腰蓑を模した、ふんわりと膨らんだフォルムが特徴です。常夏の国らしい、色鮮やかなバリエーションが眼にも爽やか。時に奇抜にも映るデザインですが、中には落ち着いた雰囲気の物もありますので我々の日常使いにも合わせられます。純綿製が基本であるらしいですが、使い勝手の良さからポリエステル70%程度の生地が重宝されるとか。

 ウエストで穿く物というより、腰骨で穿くスカートの為、負担が軽くて動き易いです。しかも、3本ゴムや4本ゴムで締め付けが分散されているので、とにかく着用が楽チン。さすが常夏の国の名物と頷けるスグレモノなのです。

 私はこれに、無地や小柄の綿シャツや麻シャツを合わせて、私定番の「ハンチング」を被っております。

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 そしてパウスカートの利点のもう一つは、太ももやお尻周りに汗をかいても布地がまとわりついて来ない事、私にとってはこれに尽きます。通勤や子供の送り迎えの為、自転車を頻繁に利用する私にはスカートはやや不便。ですが、この快適さを無視出来ないので、ついついヘビロテになってしまうのですよね。改まった場所には勿論不向きですけれど、レジャーにも普段使いにも場所を選ばないのが有り難いです。動きの激しい子供相手だとそれは余計に顕著です。元々、踊りの為に誂えられたスカートであるのでアクティブな使用にこそ美しく見えるのも嬉しい。

 ジットリと燻されるように不愉快だった7月。それを潜り抜けて、遠慮のない陽射しで炙られる8月。身を竦ませて受け身で過ごしていた自分を反省してみて思いますが、あれこれ品を替え、工夫をしてみれば、夏も、存外、見応えのあるモノであるのだと気付くのです。寝苦しい時には寝具を思い切って取り換えてみましたし、行水を上手く取り入れてみたり、食べ物にアイディアを利かせたり。

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 でも、一番の改革は、自分自身の意識なのかも知れません。

 何しろ、5歳と1歳半の息子達が、どうにも夏が楽しくて仕方ないようなのです。今日はプールだ、散歩の途中にカブトムシを拾った、アイスクリームが美味しかった、明日は日曜日だ何して遊ぼう、お月様がまん丸だった、虫の声が聞こえる、猫じゃらしがいっぱい生えてた、自転車で坂道を下れるようになった、水に潜れるようになった、お母さんに内緒でお父さんとコンビニでお菓子買って来た、目白押しのスケジュールが、たった2カ月や3カ月程度しかない「夏」にこなさなければならないわけで、いちいちくたびれている場合ではないのです。

 暑い暑いと愚痴ばかりを口にしながら、空調の利いた部屋で一日中時間を潰していた記憶が私には全く残っていません。子供の頃の私にも、恐らく目白押しのスケジュールが、自分ルールのスケジュールがワンサカ盛り込まれていた事だろうと思います。

 ゆったりと、じんわりと流れていた夏らしい夏を、私は今更、我が子達となぞるように楽しんでいる最中なのだと最近気付きました。

「ぱれ部」活動日誌(『あかりの森’s bog』課外活動報告記):八景島シーパラダイス

 週末、子供に「日曜日、どこへ行きたい?」と尋ねるのが、この頃の我が家では定番になっています。「水族館に行きたい」と長男が嬉しそうに提案しますので、昨日は神奈川県の『八景島シーパラダイス』に家族で向かいました。

 高速道路も使用して、我が家からはほぼ2時間。江の島のように小さな離島を丸々テーマパークにしてあるシーパラダイスは25年周期のリニューアルを終えたばかりだとかで、折しも今年が一つの節目の年であったようです。

 台風12号が関東を通り過ぎて、その翌日の蒸し暑い曇天の日。車を専用駐車場に預けて、八景島への連絡橋を渡り、11時半に施設へ上陸。

 主人は来訪経験があったらしいのですが、私には初めての八景島です。”シーパラ”の第一印象は「オーソドックスな中堅クラステーマパーク」でした。入場料は我が家の感覚では「お、いい値段、すんじゃねえか」という感じです。財布の紐が硬めな私は、ことあるごとに主人から「セコビッチ」扱いを受けるのですが、やっぱり入場料で「5000円」は強気であると思ってしまったのでした。遊戯場と水族園が合体した複合施設です。両方、欲張りに遊び倒そうよ、というのなら、仕方の無いお値段であるかも知れませんね。

 スタジアムでのバンドウイルカオキゴンドウカマイルカベルーガシロイルカ)←珍しい、セイウチのショーは、親子で存分に興奮いたしました。子供にとっても大人にとっても大型水族園での、やはり最高の楽しみがこういった水生哺乳類のショーはないでしょうか。長男の要望で、2度、時間をずらしてショーを見物しました。演目自体に変化はないですが、回ごとに違う表情を見せる動物達に見飽きる事はありませんでした。

 今回は併設している遊戯施設の区域には大きく立ち寄らずに過ごしましたから、大まかには水族園区域の感想でしかありませんが、私が(子供そっちのけで)印象深かったのはアオウミガメの展示室です。小型のレンジ棚程の大きさがあるアオウミガメ達が5,6頭、砂浜を囲んだ浅瀬で泳いでいるといった風景を造形した展示室でした。最近の水族園にはおなじみの大型水槽や深海魚展示室なども勿論、質の高い物であったと思います。が、中でも、新鮮であったのが、ウミガメ展示の面白さでした。観客からは目線の高さの水面を境にして、足元にかけては、オールの様なヒレを翻して優雅に泳ぐウミガメ達の様子が観察出来ます。また、視線を上げれば、海底から地続きになった浜辺が再現されており、上陸して重そうに自分の身体を前進させて砂を掻き分ける亀達の仕草が目撃出来るようになっております。動物番組で見かける「ウミガメの産卵シーン」の断片のような風景が、眼前で臨場感たっぷりに見渡す事が出来る仕掛けです。実は、この展示場は、野外のベランダからも見下ろす事ができて、揺れる水面にウミガメの大きな甲羅が浮き沈みするのを見下ろしたり、間で泳いでいるサメ達の背びれが、映画のワンシーンみたいに水面から突き立って移動していくのも観察出来るのです。熱帯魚と共に水槽の中を泳ぐウミガメしか見た事が無かった私には、実際に丘へ上陸し、大儀そうに前びれを使って砂浜を横切って行く彼等の姿が実に新鮮に映りました。

 『八景島シーパラダイス』は屋外展示に力を入れている水族園であるとも感じました。11時台に到着した我が家は結局、夜の8時まで、ほぼ10時間もここへ滞在しておりました。そのほとんどを、この炎天下の中、この蒸し暑い気候の中、その上子供連れで、屋外で過ごす事の異常さ。もう、これこそ狂気でありましたでしょうか。

 けれども、その奇行のほとんどが、親のエゴでなく、長男の「希望」に基づいた行動であったと言えば、きっと私は虚言癖の罪でどこかへしょっぴかれてしまうかも知れません。でも、事実であるのです。

 まず、外の飼育施設で泳いでいるイルカへ、近距離まで近づいて、しかも飼育員さんの見守りの元、自由に手を触れる事が出来るコーナーがありました。ゴマフアザラシゼニガタアザラシへの餌やり体験も、随時、行われていました。ペンギンへのふれあいコーナーもありました。磯部を再現した一角で、太ももまで水に浸かりながら魚を観察出来ました。マダイが泳ぐ生け簀、アジが泳ぐ生け簀で、釣り堀体験が出来ました(長男、人生初めての「磯釣り」。アジ、5匹ゲット←入れ食い状態で、かなり楽しい)。ピチピチと跳ねる魚を、両手で掴んだのも初めて、自分で釣り上げた魚を10分後に唐揚げで食べるのも初めて(釣り上げた魚は基本的にリリース、持ち帰り禁止。命は大事です、食べる分だけ釣りましょう)、魚はスーパーで切り身になって皿に入っている物ではない、と言う事を肌身で実感(したのかな)出来た一コマでした。

 本当は土曜日から来て遊び倒して、近くの宿泊施設に泊まって(シーパラには隣接した同系列のホテルがあります)、翌日ゆっくり帰るのが負担が少なくてベストであると思いました。何しろ初回であったので、そこまで考えが及ばず、しかも下調べなしの弾丸レジャーであったので、幼い子連れにしては怖いもの知らずであったなと反省しております。帰宅してからの子供等の入浴、歯磨き、翌日の用意、こもごもで疲労感は更に倍増、翌朝の身体と頭の重さにひたすら怯みました。

 全体的にはほぼほぼ満足の今回ですが、一つ改善出来れば良かった点は子供達の食糧調達です。特に幼い子を抱えていると、食べ物には何かと頭が痛いのはどのお出かけでも一緒なのですが、割合にいずれのレジャー施設もフードコートの料金設定は高めです。離島であると言う事もあり、シーパラはそれが顕著であったようにも思います。大っぴらな持ち込みはNGでありますので、これは工夫が必要なのでしょう。それに加えて特に1歳の次男には、ジャンクフードや刺激の強い食事に偏りがちな外食は今後、しばらくは課題克服に頭を悩ませそうです。

 私自身、子供の頃にはすぐそばに自然が溢れていた、という事もありますし、あえて自然と触れ合いに出掛けるまでもなく、トラウマになるほど自然から身に危険を与えられた(また折をみて別記します)ので、何となく、自然との距離の取り方のようなモノが脳裏に刻まれています。対して、息子達は2人共、郊外で暮らしていますが自然とは遠い場所にある都会生まれです。彼等がこれから触れていく「自然」は、もしかしたら誇張された自然である場合もありますし、心地よい部分を強調したそれである場合もあるでしょう。そういった事が決して悪い事ではなくて、「出来栄えの良い」部分も自然であるには変わりないので、それらをも含めた細部へと視点が移っていくような触れ合いを今後も機会があればさせてやりたいと、親は、ふと思ったのでした。

 夕闇の中、釣り竿の先でビンビンと踊っている力強いアジの最期の抵抗。巨大なセイウチの生々しい体表の艶。餌をねだる仕草にも、各々の個性が光るアザラシ達。

 帰り路に見渡した海は黒々として、防波堤越しに眺める空は眩しいばかりの月夜。

 夜遊びを、大人になって、こんな大胆に、子連れでしている自分の馬鹿馬鹿しくも愉快な気持ち。べたつく海風は、帽子まで吹き飛ばしそうなほど遠慮なく、生温かく、強烈。長男も、次男も(ほどんどベビーカーか抱っこ紐で私に括られていたにも限らず)日焼けして、ちょっと腕や足が紅くなっていて、主人に至っては寂しい額の隅々まで日に焼けて。

 テーマパークから、弾んだ気持ちで、でもちょっとだけ明日の心配をしながら、出来たてホヤホヤの楽しかった思い出を声高に語りながら家路に付く、贅沢。いつの日か、また、と、決まり文句のように呟いてしまう今日を、私は間違いなく、アルバムの特等席に座らせようと思ったのでした。

 

400枚目の私

 過去に、原稿用紙250枚程度の小説を書いた事があります。好きで始めた原稿執筆ですが、冒頭、初段、中盤、佳境、結末までをくぐっていくにつれ、ピタっと筆が止まる時が幾度もありました。書いている内に、言いたい事はそれじゃない、とか、表したい事を表現できる適切な言い回しが浮かばない、とか、そういう邪念のようなモノに、度々足止めを食らいました。

 素人のアマチャンがやっている事です、原稿書きに四苦八苦している事さえスランプと一人前に銘打てるものであったのかどうか。本職がありながら、世間的には趣味程度の事に頭を悩ませて呻いているのは、人様から見れば甚だおこがましい事ではありましたでしょう。

 この『あかりの森’s blog』を初めて8カ月が経とうとしています。それまでに書き連ねて来た雑記が、これで400枚目になりました。過去に遡って読み返せば、広げられている大風呂敷に赤面させられる事もあります。生真面目な事を、遠くの誰かに熱く語っている文面にも出会います。多くは家族の、そして子供達の生活と成長と、母としての私の未熟を嘆く文章と、母である事の喜びを綴る文章と、少しばかりの創作とが「あかりの森」を織り成しています。

 首も据わらなかった次男が、今では、どこにでも自分の足で歩いて向かっていくようになりました。甘えん坊だった長男が、弟の為にグッと我慢して唇を噛み締めるようになりました。「俺様、最高」だった主人が(気が向いた時だけ、ですが)台所で食器を洗ってくれるようになりました。私が育児休暇を終了して、仕事へ復帰し、社会とも繋がり、思う事も格段に増え、時に思い過ごしの悩みに振り回されて、時に嬉し涙を流したり、時に腹立たしい事で夜も眠れない想いを抱えたり、時に生きている事の当たり前であって決して当たり前でない有り難さにしんみりする折々に「あかりの森」の逞しくも若々しい樹々達は、新しい土を得て、輝くような雨を受けて、爽やかな陽射しに育まれて、すくすくと大きく成長してきました。

 思い描く事の半分も、きっと記してこれなかったと思います。あれも書こう、これも乗せよう、こういう想いも書き留めておこう、瞬時に決心する内容であったとしても、次々に私を通り過ぎる事件や出来事の鮮やかさ、衝撃、貴重さが見過ごせないものとして理解しながらも矢継ぎ早に押し寄せるのですから、結局は、感情の一片、感動の一部分しか拾い上げられませんでした。そう思うと、残念な気もしますし、煩雑に書き連ねなくて逆にスッキリ出来た面では良しとすべき事のようにも思います。

 1000記事、2000記事と新しい情報を発信し続ける凄まじい方もいらっしゃいます。そのバイタリティーや恐るべし、なのですが、私は土俵が違いますから、煽られても恥ずかしいだけです。雑記を細々と自分の為に記すのは、物忘れの激しい自分へのいわば「励まし」みたいなものですから、アクセス数や購読者の増減とはそもそも別次元にある類のものでありましょう。ただ、ノートにでも殴り書きしていれば良かったような駄文でも、こうして外部発信用のブログという物に掲載する事で、普段では絶対に繋がる事の出来なかった人との出会いや、考え方のやり取りや、意見の応酬を経験させていただいた事は実に有り難かったと実感します。

 一日、一記事、などと言う驚異的な事は出来ません。一読するだけで、読者の暮らしが豊かになる記事も書けません。ブログというツールの使用方法を、根本から履き違えているかも知れません。ではありますが、とにかく、書き出して、書き続けて、書き記して、書き溜めて、うすぼんやりと「自分」という者の輪郭が見えて来たようにも感じられるのは、間違いなくこの『あかりの森's blog』のお陰であります。

 文章を書く事が出来る自分で良かったと思います。文章を書ける状況にいられる事が良かったと思います。文章を書こうと思える事が、恵まれているんだと思います。

 身の周りの一通りの用事しか片付けられはしないけれども、身の周り3m範囲の事は私にとって掛け替えのない事物で構成されていますので、小さく慈しみ深い物事で溢れているのを私は嬉しく思っています。

 いつかは、必ず「書き終える日が来る」雑記帳『あかりの森's blog』も、今ある私の一部であるのは偽りない真実であります。終わりの日を考えて、打ち込む事に躊躇する必要はありませんが、終わりの日もやっぱり笑顔でありたいなあ、と希望するのは、たぶん、大それた願いではないはずですよね。

 40歳の私が、400枚目の雑記で、希望的観測を述べてみるのも、これは個人的で大切な「ぼんやりとした人生賛歌」なのですから、そんな私をさえ大目に見てくれている神様とか、家族とか、世間様とかが、顔突き合わせて私の周囲3メートル範囲に溢れているなんて、随分と素敵な事以外の何物でもないと思うんですよね。

書き連ね、書き捨てて、夏、夜深く、独り、ほとほとと、つむぐ。

 澱みのない水辺に、蜻蛉は飛び巡ります。色づき始めた稲田の上空にも大きな群になって彼等はスイスイと風を切って渡って行きます。華麗なホバリング(定点飛行)も、上下飛行の自在な事も、小さいながらこの虫を勇ましいモノに見せている大きな要因である事でしょう。

 昔の話に、時に「かちむし=勝虫」と呼ばれる昆虫、トンボ。武勇が尊ばれた時代に、前進飛行しか出来ないこの虫は縁起物として愛でられたそうです。決して後退しない、つまりは負け戦をしない心意気の象徴という意味合いで、折々、甲冑の造作に取り入れられたり、衣服にあしらわれたりした蜻蛉。環境の変化で今ではその姿も貴重になってしまいましたが、時々見かける清々しい飛びっぷりは、昔も今も人の心を浮き立たせる物であるようです。

 暑い日盛りの草叢を、一匹の赤とんぼが横切って行きました。焼けるような陽光と凪いだ風の蒸し暑さが、立ち止まった私の額に汗をにじませにきます。けれども、ツイっと重力の谷間を飛び越えるように去って行く蜻蛉を見送っていると、流れる汗もひんやりと温度を落としていくように感じるので不思議なものです。今日は折からの曇り気味の一日でした。台風が週末にかけて接近してきている旨の天気予報でしたから、幾分か熱気もなりを潜めてはいたのでしょう。それでも、太陽の表面を重苦しい雲が跨いで行ってしまうと、馴染みの熱気が甦ります。気が付けば、舞い遊んでいた蜻蛉の優雅な姿は視界から消えており、ジワジワと蝉の鳴き声が周囲を律儀に塗り潰していくのでした。

 パソコンを開き、この文章を書いているのは主人と子供達が寝静まった夜半。月の面は白々として、なんだか闇の至る所が艶々となまめくように明るい夜です。風の流れは肌に感じません。蝋燭を灯せばホロホロと炎が揺れるのかも知れませんが、開け放した窓辺から見る戸外はとても静かであります。室温計を見れば、確かに、熱帯夜である(25度以上)のですが、湿度は低く心地好いものです。日中は除湿器を稼働するのみで快適に過ごせました。今に至っては薄手の羽織り物があっても構わないくらい。

 この一週間、子供の病気に付きっ切りで過ごしていましたから、知らず知らずの内に私の内面に蓄積された重荷があったのでしょうね。独り切りのリビングで、自分の為だけのドリッパーへ湯を注ぎ、出来上がった香ばしい飲み物に、更にたっぷりの牛乳を加え、昼間の買い物におまけをしたチョコレート菓子をひとかじりだけ口に含み、徐に自家製カフェオレを傾けます。開け放しにされた寝室からは、主人と子供達の寝息。ますます、気ままな独り切りの夜は磨かれたように静か。

 明日に控えている諸事は、また明日の扉の前で待たせておけばいいのです。

 軽やかに、風の波を乗りこなして行く蜻蛉の羽根みたいに、今夜は心地良さで満たされています。しがしがする事はない訳ではありませんが、ちょっとだけ私の気持ちを上の方向へ持ち上げてくれた事などを思い出していると、視線が自ずと前を向いていくように思います。可愛がっている鉢植えのパキラが、明るい日陰の中で次々に若い葉を茂らせて来た事とか、素敵な明朝体フリーフォントを見つけて自分のパソコンにダウンロード出来た事とか、遠方に住んでいる弟と久し振りに電話で話せた事とか。

 理由づけなんて後で良いんだと思います、心が喜ぶ方向に、何となく柔らかいモノにフワフワと触れられたんだな、と実感できていれば、近い将来はちょっと、でも確実に楽しみになるはずなんですよね。解ったような顔をしてひとくくりにしなくても良いと思います。何となく、良い具合に、気持ちが晴れ晴れしたら、蜻蛉だろうが、夜中のコーヒータイムだろうが、些細な物事の解釈はどんなだって構いません。

 穏やかな夜です。「嵐の前の」なんて冠名はいらないですけれど、それはそれで、嵐を乗り越える為の小休止であるのですから、まんざらでもないのかも知れません。とりとめのない事を書くのは、小気味いいです。蜻蛉と日記とコーヒーと家族の寝息と。

 夏は、夜。

 涼やかに、仄暗く。

 

密着、24時! 余談、収録。

 東京都立多摩総合医療センター。

 我が家から車なら7分程度の距離にある総合医療施設です。小児総合医療センターと隣接していますので、幼子2人を抱えておれば、それはそれはよく利用する場所であります。周辺地域のER施設でもありますので、掛かり付け医院の診療時間外受診はまずここにお世話になるわけですが、正直な話、楽しい事とは直結していない子供の急病での来訪でありますので、出来れば足しげく通うのは避けたいのが本音です。

 しかしながら、子供という種族はどうにも緊急事態に陥るのが週末やら夜間に集中する部類であるようでして長男がまだまだ幼かった頃には呆れるほどよく救急外来の門を叩いたものでした。来訪の内の2回分は火傷と発熱性失神での救急搬送でありました。小さな子供がいる家庭にとって、近場の総合病院ほど心強い物はない、これもまた事実です。

 今回の心ならずの救急外来来訪は、次男の発熱の為でありました。先週末から続く発熱。土曜日の夜に高熱になり、主人がまず救急窓口で受診してくれました。それから平日に掛かり付けの小児科医院で再診してもらうと「夏風邪」であろう、との診断で、熱の原因が分かっただけでも良しと安心していました。が、それも束の間。その後、2日経っても症状はのんべんだらりと引き続き、とうとう、次男は一切の固形物が食べられなくなりました。日中は元気もなく、少し動いては眠り、泣きながら目覚めて牛乳やスムージーで喉を潤し、力なく泣き始めて、ウトウトする、を繰り返すように。熱は依然として高いまま、その内、泣く事さえ体力を消耗するのか、涙で目をショボショボさせながら膝から崩れ落ち、うつ伏せになってところかまわず寝そべるようになりました。

 こういう場面での、母の勘と言うのは我ながら研ぎ澄まされるモノであると思います。いつもの彼と違う、これは今夜には危ない状態になる、翌日の掛かり付け医院の受診時間まで待てない、そう直感し、帰宅した主人にお願いして車で医療センターへ走りました。時刻は夜の8時を回った頃です。季節柄でもありましょうか、小児科外来は診察を待つ家族で盛況でした。首も据わらない赤ちゃんから、急性アルコール中毒の中高生らしい女の子まで、重症、軽症、様々な親子連れが待合室に寄り合って座っております。勿論、トリアージ(治療順位に、症状の緊急レベルを反映させる方法)に従って順番待ちをしていますので、夏風邪らしい症状の息子はそれから1時間ばかり待機です。この間にも、待合室前で嘔吐する子供がいたり、ベンチで寝そべった状態でうわ言を叫ぶ患者がいたり、その重苦しい空気の中を清掃係の方々が吐瀉物を片付けに回ってくれ、また看護師の方々がカルテを持って足早に通り過ぎ、呼ばれるのを待つ私と息子は抱き合うようにして時間を過ごしておりました。

 やっと呼ばれて問診していただき、その見立てでは気道におかしな音が聞こえるとの事でした。息子の諸症状と、その時の診断で肺炎か気管支炎を疑われました。また待合室に戻されて、待つ事しばし。別室にて薬の吸引を行いました。再度、診察室に呼ばれて受診後、レントゲンを撮るとの事で別区画にあるレントゲンコーナーへ移動。夜間でありましたので、無人の廊下と待合室が異様な雰囲気で、物腰柔らかく対応してくれるレントゲン技師の看護師さんがいらっしゃらなければ、ちょっと心細い気持ちになるところでした。

 生まれて初めてのレントゲン。赤ちゃん用の小さい撮影台は、まるで特殊なまな板のよう。上半身裸に剥かれた息子のあばら骨が、拓かれた魚みたいに浮き立っていたのが憐れでありました。

 結果、下された病名は「気管支炎」でした。感染性であるかどうかは現時点では分かりませんでしたので、取りあえずの症状を押さえる為の処方箋が渡されました。かれこれ病院を訪れて会計までかかった時間が3時間。致し方ない事とは言いながら、病院で過ごす時間は、体力よりも神経が磨り減る分、疲労感は大きいですよね。

 処置を受けている間にも、カーテンで仕切られただけの側のベッドでは、例の急性アルコール中毒らしい女の子が治療を拒否して大暴れしておりました。看護師3人がかりで取り押さえ、検査キッドでの検査と点滴挿入を行っている模様です。会計コーナーに向かう途中では、別の救急患者が吐き戻ししたらしく、トリアージコーナーの廊下が水浸しになっておりました。

 疲れ果ててまどろんでいる息子を抱いて、会計待ちをしていると脇の方からベビーカーを押した髪の長い女性が駆け込んで来ました。どこかで受診の順番待ちをしていたのでしょうか、ひどく慌てた様子で会計係の女性スタッフにかじりつかんばかりに訴える事を聴く限り、ベビーカーに乗せていた娘が急にグッタリしてしまって動かなくなった、という内容でありました。最前列で会計を待っていた私からは、その女性の子供であろう女の子の顔がはっきりと見て取れました。丁度、我が家の次男と同じくらいか少し大きい月齢の子で、焦点の合わない目を見開いたままピクリともしません。受付の女性から診察券を要求された母親は、ベビーカーの下から必死に診察券を探しています。手が震えているのでしょうか、一枚のカードを取り出す間にも、荷物は床に散らばり、それをまた拾おうとしておかしな仕草で姿勢を崩したりしていました。受付に診察券を提出しながら、ついに彼女は泣き出してしまい、娘の手足を熱い物でも触るようにオロオロと撫で続けておりました。

 これが日常の救急外来での風景なのでしょうか。待合で肩を寄せ合う人々は遠巻きに無言のまま。受付から救急への内線はなかなか繋がらない様子で、受話器を持つ女性スタッフも沈鬱な表情をして固まっておりました。泣き続ける母親と、微動だにしない小さい女の子。やがて駆けつけた看護師に女児は抱きかかえられ、どこかの処置室に運ばれて行きました。「体重は何キロですか」と看護師が尋ね、「11キロです」と泣きながら答えていた母親の声。ああ、やっぱり、私の息子と同じくらいの子供だったんだな。そう思ったとたん、涙が溢れました。

 子供が、生きているのは、全然当たり前の事ではなく、不可抗力によって生かされているに過ぎないのだ、と、何故か心が一杯になりました。

 赤ちゃんの時に、頭から熱い紅茶を被って大火傷を負った長男の事を思い出しました。リビングで遊んでいたと思ったら突然、顔面蒼白になり唇まで真っ青になって床に倒れ伏した長男の事を思い出しました。

 そして、こうして今回、無事に家に帰る事が出来た次男の幼い身体を抱き締めた時、熱い物がこみ上げて来たのでした。

 まだ少し、母子の闘病は続きます。深夜の帰りのタクシーの中で、胸に寄りかかって眠る次男の重みが、それでも、きちんと明日分の希望を連れて来てくれるのでした。

 頼りない母を、強くしてくれるのは偉人の残した有り難い言葉でも、ベストセラーの育児書でも、きっとないのですよね。泥臭いこんな経験を回り道しながら、躓きながら何度もこねくり回して行く事でしか「母力」は築かれないのでしょうね。

 鬼気迫るドキュメンタリーは、私の膝の上にこそあるのです。抱腹絶倒のファンタジーは、私の腕の中にこそあるのです。物語の現場は、ここ。私が母である限り。