あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

さもなくば、さもありなん

そうありたいと願う気持ちは

他のどんな動機よりも

単純で強烈だよ。

 

絵が上手くなりたいと願う気持ちが

その人に絵筆を取らせるんだ。

描きたいという堪らない欲求が

その人にキャンバスを探させる。

認められたいと望む心が

その人に仲間を手に入れさせる。

 

高みに登る為に

さもなくば、なんて

脅しはいらない。

勉強しないと、

さもなくば。

静かにしないと、

さもなくば。

努力しないと、

さもなくば。

 

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同じ道を走っていても、

喉が渇き、膝が折れそうになり、

もう、一歩も走れないと弱音を

吐きかけた時、

たぶん、

最後の一足掻きが出来る奴は

やりたい事をやってる奴だと

思うんだ。

 

走り切らないと、さもなくば。

何かに追い立てられて、

そうやって命懸けで走ってる奴が

手足が千切れても、走り続けたい、と

決心している奴に

到底及びもしないというのは

「さもありなん」

なんだよね。

 

人に飽きる人。

飽きない。

 

本当にこれは

凄い事だと思うんです。

 

見飽きる。

食べ飽きる。

使い飽きる。

喋り飽きる。

 

いろんな事に

くっついて回るくらいに

飽きるという感情は

私達の生活に馴染んでいるんです。

飽きたから、という理由で

物を捨てるし、

飽きたから、という理由で

人とも別れる。

もしかしたら

仕事だってそうかも知れない。

飽きたから、

辞める。

なかなかそう思い切った事は出来ないまでも

仕事を始めた頃の情熱は

多少なりとも温度を落としている。

誰にだって経験はある。

何かに飽きたら、

そこから元通りの状態に

自分を引っ張り上げるのは、

ややこしくて、ちょっと難しい。

 

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だから

改めて

私はびっくりするんです。

主人は決して仕事に

「飽きる事」をしない。

楽しい事ばかりではないにしても

「毎日、面白い」と言い切って憚らない。

夜中にかかってきた取引先からの電話に

声を荒げていた事だってある。

雨風が激しくなり

現場に出向く為に休日を切り上げた事だってある。

家族サービスの日にも

彼の携帯電話には仕事場から連絡が入る。

平穏な一日を

きっと彼は過ごした事がないに違いない。

 

飽きない。

 

東京という街が

いつ見ても

どこかで工事が行われていて、

いつ見ても

なにかが入れ替わっていて、

いつ見ても

知らない街角では

新しい人達が幾度となくすれ違っている。

 

「飽きないんだ」と

主人は言いました。

飽きないから、

ここにいたい、と。

 

この先の事は

誰にもわからないでしょうけれど

ここに今いる理由が

飽きない事、なのだとしたら、

物事に飽きると言う事は

もうそれだけで何かの終わりの

ような気がしてしまうのです。

 

伝え飽きる。

働き飽きる。

歩き飽きる。

生き飽きる。

 

飽きない。

 

本当にこれは

抗いようがないほど

人の根本的な物と

結びついているのだと思います。

 

「愛しているわ」を言えない訳

「愛する」

 

私は

これを

持て余している。

ぴったりかかとが合わないガラスの靴。

開いてはいけない玉手箱。

イメージとしては

これらが近い。

 

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使い勝手の良い言葉であるとは

思うのだ。

概念としても優れているに違いない。

しかしながら、

私にはどうやら

そぐわない。

そういう事だ。

「愛情」

「恋愛」

「愛顧」

「溺愛」

心情のグッと奥まった場所が

何かしらの強い力で流動する感じ。

魅力的で、ともすれば何度も口にしたくなる

良い意味での中毒性があるのかも知れない。

 

「愛している」

 

ではあるにも関わらず

私はこれに寄り添えない。

自分の中に

おどろおどろしい物が

常に渦巻いていて後ろめたいから

では決してないのだけれど、

どうにもスマート過ぎて

どうにもスタイリッシュ過ぎて

世界観が違うというか

すっきり無味無臭で上等であり過ぎるのだろう。

 

頬擦りしたいほど愛おしい。

花鳥風月を愛でる。

愛情をもって諭す。

そういうのは憚らないのに

「愛する」

「愛している」

殊に、対人では躊躇してしまう。

一言で済むのは

とても便利な事のはずなのに。

挨拶代わりに

この想いを届けられたら素敵なのに。

 

「愛」という感情のうねり、たかぶりに

「する」という動きを付けただけで、

「愛」は私の手の平から

子犬のように逃げ出してしまう。

不可思議だと、思う。

 

耳慣れない言葉だからだろうか。

自分の文化に存在しなかったからだろうか。

 

明るい場所で遊ぶ子供達を見下ろして

そんな事をつらつら思い巡らせてみる。

 

ああ、そうか、そう言う事か、と

何かに思い至りそうになっては、

あれ、そう言う事なのかな、と

解りかけた答えがまた

モヤの中へと消えていく。

 

感情に言葉が追い付かない。

一つの形に納められない複雑怪奇な心。

これに名付ける事自体が

私には

荷が重いのだとしたら。

 

「愛する」

 

この輝かしいばかりの

美しい箱に

母と言う業の深い肉体を仕舞い切れず

私は再び

途方にくれる。

 

雑記帳「あかりの森」の本分

ないですよ、

ネタや話題を提供出来る腕前。

まずは、毎日、

頭の中の右や左に

ほうき星みたいに飛び交う光る玉が

ありましてね、

それが、

ひゅーん、ひゅーんって

頭蓋骨の壁にぶつかっては

正反対の頭蓋骨にぶつかりに行くんですよ。

虫網みたいなやつを

ブンブン振り回してですね、

手当たり次第に捕まえた光る玉をね、

これはどんな色をしているだろうか、

これはどんな匂いがするんだろうか、

とね、

ためつすがめつしてるだけっていう

私の文章ってのは

そのようなモノなんですよね。

コラムの達人なら

それで飯が食えますよね。

詩の先生なら

それで生きて行けますよね。

絵の巨匠なら

巨万の富を残せるだろうし、

音楽の鬼才なら

語り継がれる栄光があります。

残念ながら、

当然の事ながら、

私はそういう部類の人ではないし、

早くに自分の才能とやらを

見限ってますんで、

進む道はそっちじゃあないだろうな、くらいには

賢明に理解するに至りました。

ただね、

この私の発する言葉をね、

鵜呑みにして、

目標にして、

頼りにして、

励みにして、

癒しにして、

慰めにして、

拠り所として、

歩いている人達が

私のそばにはいるんですよ。

だからね、

言葉を粗末にしちゃあならないな、とは、

心の底から思うんです。

 

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あー、とか

うー、とかしか

まだ話せない人なんですけどね。

「てにをは」が

まだあやふやで、

昨日、今日、明日が

入り乱れてるような人なんですけどね。

そういう彼等にとって

私の言葉は

口はばったい言い方をすれば

一種の指針みたいなもんなんです。

そんな彼等への

何というんですかね、

教訓めいた「絵本」みたいなモノで

あればいいなあと思うんです、

はい、私の言葉が、です。

ちょっとだけ、先に生まれたもんで、

私、実は、

彼等より、ちょっとだけ物知りなんですよ。

笑えるでしょう?

だからですね、

まだ、この頭の中が

カランカランに乾ききらない内にね、

何か、置手紙のような物を残せたらいいなあと

思ったんです。

これが面倒臭い注文書になるか

うるさい遺言書になるかは、

分かりませんけどね。

ほんの少しの

暮らしの足しになれば

私の生きてきた意味は

多少なりとも

あるんじゃあないかと

今は思うんです。