あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

「愛しているわ」を言えない訳

「愛する」

 

私は

これを

持て余している。

ぴったりかかとが合わないガラスの靴。

開いてはいけない玉手箱。

イメージとしては

これらが近い。

 

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使い勝手の良い言葉であるとは

思うのだ。

概念としても優れているに違いない。

しかしながら、

私にはどうやら

そぐわない。

そういう事だ。

「愛情」

「恋愛」

「愛顧」

「溺愛」

心情のグッと奥まった場所が

何かしらの強い力で流動する感じ。

魅力的で、ともすれば何度も口にしたくなる

良い意味での中毒性があるのかも知れない。

 

「愛している」

 

ではあるにも関わらず

私はこれに寄り添えない。

自分の中に

おどろおどろしい物が

常に渦巻いていて後ろめたいから

では決してないのだけれど、

どうにもスマート過ぎて

どうにもスタイリッシュ過ぎて

世界観が違うというか

すっきり無味無臭で上等であり過ぎるのだろう。

 

頬擦りしたいほど愛おしい。

花鳥風月を愛でる。

愛情をもって諭す。

そういうのは憚らないのに

「愛する」

「愛している」

殊に、対人では躊躇してしまう。

一言で済むのは

とても便利な事のはずなのに。

挨拶代わりに

この想いを届けられたら素敵なのに。

 

「愛」という感情のうねり、たかぶりに

「する」という動きを付けただけで、

「愛」は私の手の平から

子犬のように逃げ出してしまう。

不可思議だと、思う。

 

耳慣れない言葉だからだろうか。

自分の文化に存在しなかったからだろうか。

 

明るい場所で遊ぶ子供達を見下ろして

そんな事をつらつら思い巡らせてみる。

 

ああ、そうか、そう言う事か、と

何かに思い至りそうになっては、

あれ、そう言う事なのかな、と

解りかけた答えがまた

モヤの中へと消えていく。

 

感情に言葉が追い付かない。

一つの形に納められない複雑怪奇な心。

これに名付ける事自体が

私には

荷が重いのだとしたら。

 

「愛する」

 

この輝かしいばかりの

美しい箱に

母と言う業の深い肉体を仕舞い切れず

私は再び

途方にくれる。