あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

原石

 イメージだけで表現するのなら、我が家の長男は「不純物をたくさん含んだ水晶」みたいな人だと思います。ちなみに次男は「伸びしろを残した鉄鉱石」。窓ガラスの一般的な硬度が“5”。水晶が7で、これで鉄鉱石を引っ掻けば傷が出来るとか。つまり、鉄鉱石の硬度は水晶に及ばないという事になります。一方、外的な光を多く通しやすいのは水晶で、実は硬度が高くてもハンマーで叩くなどの衝撃には弱いという相反するような特徴も持ち合わせています。

 長男で長子という環境からでしょうか、我が家の「お兄ちゃん」は気苦労を多く背負う性質に育ちました。良い意味でも悪い意味でも非常に純真です。外界の影響を濃く受けやすい部分もあります。尊大な羞恥心で、朝の挨拶をすべき人を吟味したり、親の見守りに際しても、細かい立ち位置を指定してきます。それでいて親である私と主人との会話を慎重に聞き取っていたり、自分が失敗して気持ちにやましいところがあると厳しい主人よりも、いくらか寛容な私へ失敗の報告をしてくるなど。彼の心の機微は時にいじらしくさえあり、時に面倒臭いほどにナイーブであったりします。対する弟はただ今、「プチイヤイヤ期」。着替えや食事には援助が必要ですが、スイッチが入ると俄然、自分でやりたがります。親の側の手順が違うと、スプーンで掬ってやったご飯も口をつぐんで食べません。ズボンを履かせる作業も、寝転んでしまって足をバタバタ、徹底抗戦の構えです。月齢のせいもあるのでしょうか、とにかく自分に正直に生きていると感じます。乳児期から一度眠ったら時間が来るまで起きなかった安眠型の長男に比べ、寝入るのに時間と手間がかかり、しかも就寝中も眠りが浅い次男は、眠たくて融通が利かなくなった我が身を持て余すのか、必ず側で眠っている親の体に眠気でぬくもった丸い体をぶつけてきます。最近めっきり重くなった次男。相撲のぶつかり稽古のような毎夜の儀式に、サッサと眠ってしまいたいこちらは体当たりの痛みを味わうという謎の流れでウンザリしてしまうのです。

 思うがまま、有りのままに生きているように見える小さい人達。まだ修学前の彼等の世界で、家庭が影響する場面はとても多いはずです。親から観れば、至極限られた選択肢の中にも、それでも逞しく「己」を貫く2人。やがて磨かれて、やがて鍛えられて、この目まぐるしい世界の「何者か」になる人達へ。丸くあっても、熱くあれ。

 

 

(1000文字雑記)

泣かない人

 はなから私は、自分が器用には生きられない種類の人間であるのは勘付いていました。少しの失敗や自分の不甲斐無さや、勝気な癖に妙に臆病である事などが重荷になり、それでも適当にいなす事が出来ずに視線が上げられない折がたびたびあります。環境が私を追い詰める要因に満ちている訳ではありません。息苦しく思えるのは、単なる自己への暗示でありますし、気詰まりを覚えるのはひとえに頑なに人との関わりを忌避している己の弱さであると自覚しているのです。

 俯きがちになる自分を、何とか奮い立たせようと眉間の辺りに意識を凝らし、強いて口角を上げてみます。せーの、で歩き始めた時は大きな歩幅で様になっていた姿も、進むに連れて尻すぼみになり、みすぼらしい元の自分に戻っていくのです。全部の自分を否定しているのではありません。ただ、たまたま今日だけの気の利かない、折れ曲がった自分を何とか持ち直したいと思っているのです。それなのに、どうにも上手くいかない事ばかりです。ジッと前を向いていないと、充血した両目から、また、ポタリポタリ、みっともなく涙がこぼれて来そうになります。労わられるのが気まずいのではありません。同情されるのが腹立たしい訳でもありません。いつの頃からか、無防備に人前で悲しい表情を見せる事に心が痛むようになっていました。これも子供から大人への成長の一つとするのなら、私は間違いなく激情をこらえる工夫を身に付けられた、大人の様な物に成れたのでしょう。

 誰しもが、確固として自分を支える指針を持つものではありません。綱渡りの毎日を繋ぎ合わせ、これを「日常」と名付けている人もこの世界には多くいます。生き抜く為に背中を押してくれる後ろ盾みたいな物が自分には存在していなかったとしても、用意され続ける課題を迂回する事は、生きている限り、生きる事を選択していく限り、出来はしません。

 泣くという行為は、与えられたストレスへの一時的緩和措置なのだと言います。泣かない人よりも泣く事が出来る人の方が何倍も自分を修復させる力を得るのだそうです。

 成長の過程で、泣く行為を避けるようになるのは、泣く行為そのものが無心な子供を連想させるからかも知れません。泣く人を疎ましく思う心理は、そのあられもない姿をどこかで羨ましく感じている照れ隠しの現れかも知れません。

 真っ黒な瞳に、いっぱいの涙を溜めて、大人になり損ねた人が、細い道を一人きり。

 

 

(1000文字雑記)

OLD ALICE in THE WONDER WORLD

 書き溜めて来た「雑記」も、ポツポツと溜まって来ました。始まりがあれば、勿論、終わりがあるのですけれど、最終回を意識する事なく続けて来た私も、一区切りをどこかにした方がいいのだろうか、など考えなくもありません。一万記事、まさかまさか。では一千記事、これもなかなか高い壁です。では、その半分500記事、これはかなり現実的な数ではありますね。

 去年の12月4日に「あかりの森」は誕生しました。正確には、ずっと私の心に育っていた名も無い思い出や捨てきれなかった想いの数々が、新しい名前を得て生まれ直したようなモノでした。書き綴っていくうちに、言葉にならなかった感情のやり場や、表現しきれなかった気持ちの置き場や、小さな家族内での出来事の記録簿が「森」の中に大事に仕舞われていくようになりました。小鳥や、可愛らしい生き物が木陰を求めて集まって来るように、私はこの「あかりの森」の画面を開くと、忙殺されていた日々の意味を一つ一つ紐解いて見つめ直す事が出来るようになっていました。嬉しくも、言葉を交わす人達が出来ました。感心するような記事に出会う事も出来ました。決して、今の生活が虚しい訳でも、退屈な訳でも、まして疎ましい訳でもありませんが、それとはまた別格の慰めを恩恵として受けていたようにも思います。

 生まれてから老いて死ぬまで、私達の命はとても流動的です。大袈裟な言い方をすれば一瞬として同じ一瞬はないのです。毎日、激変していく子供達がすぐそばにいれば、余計に周囲は騒がしく慌ただしい物になる事でしょう。これらをつぶさに、一つも漏らす事なく把握し、記憶し、良い事を次の機会に生かそうと決心する事がいかに至難な事であるでしょう。親という立場であればなおさら、時々立ち止まって、這う這うの体で椅子に腰かけて、冷めた茶をすするので精一杯、そんな日の連続であります。

 そこに、少しの彩りを、そこにこそ、わずかばかりのセーブポイントを、許される範囲での「何者でもない」私を転がして置く場所を作る意義。娘でもなく、妻でもなく、母でもなく、〇〇さんの奥さんでもなく、一個の石ころのように、私を自由に転がして置く場所、肝心の置き場所さえ確保しないような奔放な場所こそが私にはこの「あかりの森」でありました。

 1000文字、執筆時間20分、時々、甘いお菓子と香ばしいお茶。時間を忘れたアリスのように、言葉の世界で、神隠し。

 

 

(1000文字雑記)

終わってゆく、君等の夏

 井上陽水さんの『少年時代』や森山直太朗さんの『夏の終わり』の歌詞が心に響き何となくしんみりしてしまう頃、夏という季節が一区切りしたのに気付きます。家庭で過ごした色濃い思い出を抱えて、いよいよ新学期、子供達が一斉に学舎へと戻ってきます。

 まだ長男も保育園児の我が家では、その実感も感慨も概念として想像してみるだけで、しみじみと身に染みて感じるには後一年の猶予が設けられています。子供ながらに大人と同じようなコミュニティーで生活している彼等。慣れた環境から違う環境へ、金魚が新しい水槽に少しずつ馴染んでいくように様変わりしていきます。

 就学前の長男が、保育園以外で取り組んでいる課外活動にテニススクールがあります。現在、間借りしている物件の大家さんが所有しているテニスクラブに通い始めて1カ月。週に1回のスローペースであるので、上達云々というよりも刺激のある息抜きと言った感じです。元々、人見知りで恥ずかしがり屋の彼は、毎回担当してくださるコーチにもハッキリとした挨拶が出来ません。先方から溌剌と声を掛けていただいても、付き添いの私の方へ何故か顔を向けて、コーチの声が聞こえなかったかのように全く関係のない話を声高に話し掛けて来ます。恐らく、彼なりの照れ隠しなのでしょうけれど、これは余り好ましい状況ではありません。挨拶は集団生活では基本です、看過する事は出来かねる事項です。

 この息子の羞恥心について主人に相談した事があります。保育園での生活においても、登園時の保育士との関わりも似たようなもどかしさでありました。随分前から気にしていたのですが、さて一年生に進学したところで、いきなり改善する物でもないと思ったのでした。主人の答えは、こうでした。

 「(息子を送り迎えする)お前(私)が、(彼を)少し早めに送り届けてやれよ」

 人と馴染む事と、教室に早く入る事と何の関係があるのか、その時はピンとこなかったです。そのまま疑問を返すと、彼は言いました。

 「ある程度、場の雰囲気が出来ている所に、いきなり放り投げてもまだまだ息子は小さいんだから二の足を踏むだろう」

 なるほど、と腑に落ちました。

 人間付き合いが得手、不得手、その子の個性は確かにあります。不得手な性格である息子にこそ、まずは出来る範囲での環境作りをしてやろうと思いました。甘やかし、というのではなくて、親が出来る手助け。今だからこそ出来る「ならではの」手助け。

 

 

(1000文字雑記)

反旗を翻す。

 自分の「完成形」って何なんだろうなと思うのです。今の自身に満足出来ていない状態の人が大勢世の中にはいて、居場所を探していて、現状をうらんだりしています。世界に不満をぶつける歌詞の歌謡曲も相変わらずヒットを飛ばしていますし、SNSから不満の声が無くなる事はありませんし、テレビの画面からカーラジオから暗いニュースが流れて来ない日はありません。

 実家の母は、娘が成人した後でも何の悪気もなく娘宛の封書を開けますし、主人は家族で外食すると車の運転があるにも関わらず駆け付け一杯の生ビールジョッキを欠かしません(運転が苦手である私を当てにするのは止めて欲しいです)。5歳の長男の保育園のロッカーには、持ち帰りそびれた泥だらけ汗まみれのTシャツとズボンと靴下が詰め込まれていますし、発熱下痢口内炎に夜泣きの次男のおかげで早くも上半期で私の有給は消化できてしまいそうです。

 早くに帰宅しても自分の晩酌に余念が無い主人は、夕飯の支度で忙しくしている私に自分の酒の肴を要求しますし、子供達の送り迎えは基本的に「俺の仕事ではない」とのルールが出来上がっています。私とて、万能の母、そつのない妻、如才ない娘ではありませんから疲労や体調不良や心理的な浮き沈みで、時折、糸がプッツリ切れてしまう事があります。現実の厳しさ、現実のままならなさ、所々に点在する暗い穴のようなもの。

 しかしながら、それは「周りが」とか「相方が」とか「手助けが」とか、何かしらのすがるものを待ち望んでいた時には不思議と解決しない、言わば放置された傷のようなものだと気付きました。嫌なら嫌と言っても良い、怒っているなら怒っている態度を示しても良い、それに不可抗力ながら思い至った時、ちょっとだけ私の中で錆び付いていた汽車の車輪が回り始めたように思えたのですよね。主人に立腹していても、子供の前では笑顔でいなくちゃ、なんて、菩薩でもない私に出来るわけがありませんでした。風邪を引いている時にも栄養バランスを考えて、いつも通り丁寧なご飯を作るなんて無理なのです。自分を「いい人」でいさせる必要はないのじゃあないかな、と。

 子供達も実は解るのです。「ああ、今、お母さん、お父さんと喧嘩してるんだ」とね。主人が我が儘をするなら、私だとて我が儘をしていいはずです。辛抱はしても良い、でも我慢はしなくて良い、「平和の作り方」なんてそれぞれの家庭の数だけあれば良いんですよね。

 

 

(1000文字雑記)