あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

台所の名木事情

 ひばの香りがしています。子供を寝かし付け、台所を拭き上げて、洗濯機の回り終わる音を聞き、ホッと一息つく頃。プラスチック製のまな板を処分して、現在ひばの木でこしらえられたまな板を使用していますので、洗い上がった木製のそれは台所の隅に立て掛けられて、プンプンと爽やかな香りを漂わせているのです。

 出会いは青森県の商業組合主催の物産展でありました。仕事帰りの夕飯買い出し時、職場からの最寄り駅、その隣接したスーパーマーケットに立ち寄った折の事です。臨時の催し場の一角に、名産の林檎や銘菓と共に並べられてあった木工製品。木曽のヒノキ、秋田の杉、名木の一つにも上げられる青森のヒバ。特筆すべきその芳香とダントツの抗菌作用。ひば製まな板は、随分前から手に入れたかった調理器具の一つであったのですが、いかんせん「いいお値段」がいたします。「まな板なんて、物を切る為だけに使う板だろう」とぶっちゃけてしまえば、百円均一店でも十分な物が手に入る昨今です。わざわざ板一枚で一週間分の食材費を吹っ飛ばしてしまうとは、狂気の沙汰であるのかも知れませんよね。

 好き嫌いはありましょうが、物産展から漂ってくる清涼感ある香りに、私はついつい引き寄せられて立ち止まってしまったのでした。店番のお兄さんと目が合って「ひばのまな板、良いですよね」と声を掛ければ、待ってましたとばかりに「うちは直販なので、ここに置いてあるやつは底値なんですよ。都内で見かける商品は更に高価でしょう、いやいやこんな値段で正直、置いてませんから」と水を向けて来る彼。上手い口車に乗せられた訳ではありませんが、辞書程の厚みがある正目の一枚板が一万円を切って売られているのですから、確かに、目を剥くばかりに高価というのではなさそうでした。しかしながら、プラスチック製のそれに比べて見れば、なるほどお財布に優しい価格ではありません。でも、こういう時、心に響くものの引力には名状し難いものがあるのですよね。結局、後学のつもりで手頃な一枚をそそくさレジに運んだ私なのでした。

 物は試し、と購入した感想は「値段と使い勝手は比例する」という納得に満ちたものでした。微塵にした食材が全然滑らないですし、長時間の刻み作業にも心地よささえ覚えてしまう刃当たりのしなやかさ。伝統の一品とは、なかなかどうして侮れないものでした。

 物品、金銭のやり取りにも、大切なのは「満足感」。

 

 

(1000文字雑記)

夜の中ほど。

 主人が不在の夜。子供2人と私とで、質素な晩御飯を終え、バスタブに半分程の湯を張ったお風呂に長々と入り、ケタケタと自堕落に笑いながら歯磨きを済ませ、温かい毛布にくるまって、眠りに落ちるまでのわずかな時間を思いつくままの童謡を口ずさんで寝転んでいる、この気怠い一連。大きく寝返りを打つ、男の子達の固い身体、熱い寝息。ただ、健やかな、濃密な暗がりに我が子を見下ろして、ぬくもった寝床を抜け出る母。やり残した洗濯物を洗濯機に放り込み、回り終わるまでのいくばくかの時間を、奔放に浪費するのです。

 まるで悩みなどないような、さばさばとした振る舞いをして日中をやり過ごし、一人分の原動力になり社会を回す自分。肩書など特に華々しい物はないのですけれど、上司は私の名前を呼び、同僚は時に他愛のない話題の輪に私を招き入れ、また世間は気ままな私の昼休憩をも保証してくれ、いわゆる過保護にも放任にもさらしてくれる丁度良い他人行儀の中で私は生きております。

 居場所を探して、誰彼無しに荒々しいクレームをぶつけていたのは、ちょっと昔の話になりました。寂しくても、その寂しさのごまかし方を知らなかった頃は、確かに、厄介な伝染病を抱えているかのように不機嫌を至る所にばら撒いていた事でしょう。今でも、その頃は知らなかった、均衡を守るちょっとしたコツを心得ているだけで、実のところ本質という物は変わっていないのかも知れません。溜まってしまったモヤモヤを可燃ごみにするか、不燃ごみとして持て余してしまうかの違いなんですよね。結局は、焼却炉の処理能力や、キャパシティーの問題だと思います。大人になりました、なんて、到達ラインが定められている訳でもなく、客観的な判断を委ねる機関があるわけでもなく、せいぜいが、身近な人の主観に委ねられるもので。

 両親が、親戚の通夜か何かで、真夜中に留守をした事がありました。まだ小学生くらいだった私と弟は、親の不在という特別な夜を二人切りで過ごしました。不安で眠れないのでなく、特別なミッションを行う優秀な戦士になったような気になって、勇ましくも幼い二人が身を寄せ合って布団にもぐり込んだのを憶えています。頭から被った布団の中で、クスクス、キャッキャと、変な興奮でパンパンに膨らみながら、ちょっとした使命感を持って甘えていた思い出の中の私達。

 夜のほとりで静かな部屋で、一人、そんな事をうつらうつらと。

 

(1000文字雑記)

 

 

名残

 頬の辺りに、芳しい香りを感じ辺りを見回せば、深い緑の高木にあるかなきかの小さい夕日色の花房が無数に散りばめられているのを見つけました。彼岸の頃、曼珠沙華の鮮やかな紅色があちこちを賑わせる中、朝風に、夕凪に、人の心をふくよかに染め上げるその花の名を、今は亡き我が父が「金木犀」であると、幼い頃、教えてくれたのでした。

 金木犀という花は、私にとってとても不思議な花であります。流れ来る芳香には立ち昇るような存在感がありながら、視点を定めて追い求めると途端に輪郭が曖昧になるような、言わば、だまし絵のような花であるといつも感じるのです。そこここに色付く滴りを奔放に点描していくというのに、誰にも素顔を見せない油断ならない人のよう。

 通勤の道すがら、楽しみの一つとして近隣のもの、神社の境内のもの、古い空き家にひっそりと佇むもの、それぞれの金木犀の香りを味わいます。それが、ある日、唐突にぷっつりと途切れてしまい、今までさして気にも留めなかったそれらの親木の足元に、役目を負えた黄色い花が黒々とした地面を明るくして散り敷いているのを見つける事があります。思わず溜息が出るのは、何故なのでしょうね。勿体ないような気持ちになるからなのでしょうか。一つの季節が過ぎて行く名残であるのでしょうか。華やぎを失った常緑樹を気の毒に思うからでしょうか。樹々の気高い香りを、勝手に喜ばしい物と思い定めて、無責任に淡い夢想を弄んでいたからでしょうか。

 思うのです、私達は良くも悪くも変化にとても弱いものであると。周囲の変化であったり、自分自身の変化であったり、その「変わる」という事象に全く揺るがないでいる事は、実はなかなか出来ないものなのですよね。変わり続ける事に嬉しくてワクワクしている時でも、クヨクヨしている時でも、ドキドキしている時でも、メソメソしている時でも、そのどの景色にも、平常心の自分と言う物を確立できないでいるのではないでしょうか。変化が大きければ大きい程、比例して身体の中心が音叉のように微細に震え続けてはいないでしょうか。

 平常心=平ら、である事は、禅の世界に没入でもしない限りはおよそ難しいのかも知れません。身を研ぎ澄ませて、周囲と自分が溶け合うような境地にあっても、恐らく、一通りの感情からは隔離出来ないのが「人」であるのでしょう。

 香りだけを残し、花は静かに錆びついたしがらみを脱ぎ捨てます。

 

 

(1000文字雑記)

 

祈る。

 北海道の今回の大地震で、苫小牧在住の弟が被災しました。自宅の停電は漸くの事で復旧したそうですが、まだまだ不便な地域も多く残されています。ライフラインの修理に献身して下さっている方々も、大半がご自身も被災者です。助け、助けられ、肩を寄せ合うようにして元の生活回復に向け、懸命に活動なさっています。

 御舅さんも御姑さんもニュースで嫁の弟が非常時である事をお知りになったようで、電話越しではありましたがお気遣いの言葉も頂戴いたしました。遠方でありながら、一つの家族として労わってご心配下さるお心が嬉しくて、直接電話を受けた主人から、その旨の事を伝え聞いた時、私は胸が一杯になってしまいました。古い因習に否定的な方々の意見はメディアでは連日画面を賑わせたりしていますが、嫁に入り、曲がりなりにも家族になった人達への深い配慮というのは、時に頼もしく、心強くもあるものなのですよね。

 就寝時、子供の寝かし付けの折、ふと、5歳の長男と今回の北海道での停電の話をしました。電気が来なくなり、自分の意志に反して真っ暗闇で過ごさなくてはならない経験を彼は経験した事がありません。親世代の私達は、夏頃に夕立の為の落雷があった時、何度となく停電をした記憶がある世代です。スイッチを押せば電気が点いて、ボタンを押せばガスが点いて、蛇口をひねれば当たり前に飲み水が注がれる世界、そこに生きる子供達に停電の不便さは、逆に目新しいものであったようです。彼にとっては叔父にあたる私の弟の現状を簡単な言葉で説明してやると、長男は目を輝かせて次々に質問を投げかけて来るのです。「それから、どうしたの?」「それはなんで?」「真っ暗になったらどうやって御飯食べるの?」。まるで物凄く面白いイベントがそこで繰り広げられているかのような反応です。「もう一回(叔父さん=私の弟、の)お話して」と、昔話の続きをせがむかのような無邪気さなのでした。

 今現在でも、私達のような小さな子供を抱えてらっしゃる親御さんは、どれほどの苦労をなさっているかと気持ちが塞がります。大人でさえ過酷である避難生活であるところを、わずかばかりの油断や窮屈で命の危険にさらされる子供達。それを見守る方々のご心痛、察して余りあります。

 台風被害での復旧もやっと始まったばかりの本国へ、また新しい台風が接近していると言います。被災の中での更なる避難。どうか、ご無事に。ご無事に。

 

 

(1000文字雑記)

あの空の下を、想う。

 9日4日、和歌山の実家で独り暮らしをしている母が、台風により被災しました。9月6日未明、北海道苫小牧で独り暮らしをしている弟が、地震により被災しました。2人とも、停電による不自由を味わいました。東京に在住する私からは携帯電話のみの連絡しか出来ませんが、2人共、手元の通信機器(スマートフォンなり、家庭電話なり)の動力は、やはり電気に頼っているので必要最低限の連絡しか取れません。先方の充電がなくなれば、全くの不通になってしまう危険があるからです。

 今では復旧していますが、和歌山の実家の場合、水洗トイレも電気での水の汲み上げをしていました。風呂の湯沸しもガス機器への点火は電気でした。ですから、停電中の母はバケツの汲み置きでトイレの始末をし、真っ暗な中で薬缶に沸かした湯で身体を拭いていたそうです。せめてもの救いは水道とガス(プロパン)の断絶が無かった事でしょうか。

 台風の次には地震。今回の震度は7であったそうですが、今までの教訓が生かされて通話の為に公衆電話が無料化されたり、スーパーマーケットの生活用品が安価で解放されたりしております。不幸中の幸いは、これが真冬でなかった事でしょうか。夏場は過ごしやすい北海道。冬の厳しさは他の都道府県の比ではありません。

 とにかく無事であるというメールが弟からは届きました。わずかな時間ではありますが、彼と通話にも成功しました。震源地から近い場所に住む彼の生活が、今後、どのように圧迫されてくるのかは想像が出来ません。激情だけで、無計画に被災地に駆けつけるわけにもいきません。「生きているのだ」という一つの希望を心に留め置きながら、私は日常生活を続けるのです。

 天災が通り過ぎた実家の母からは「屋根瓦が吹き飛ばされてね」と、苦笑と共に情けない報告がありました。周辺の業者も、あちこちから注文が殺到しその対応にてんてこまいであるそうです。自宅の修復に頭を悩ませているのは母だけではありません。仕方の無い事とは言いながら、これからの秋の長雨に雨漏りの心配をする日々が続きそうです。

 「明日は我が身」。この言葉は、私達が大きな厄災に見舞われる度にテレビからも新聞からも公の人からも近所の友達からも聞かされる言葉です。たまたま今まで無傷で過ごしてきた事が奇跡であるかのような私達の暮らしなのです。側にいる子供達を、ひたすらに抱きしめたい気持ちにさせられる言葉です。

 

 

(1000文字雑記)