母の名はマリア
霊的なモノを感じる才能には恵まれなかった私です。初詣で祭殿には手を合わせますし、法事で神妙にお経も聴きますし、遅刻間際の神頼みはしょっちゅうしていながら、全く不調法、不心得者な為、ご利益とは無縁に過ごしています。幸い、天罰や仏罰には遭遇していないので、天高くいらっしゃる方々も太っ腹な事であります事よ、と大胆な事を考えております。仮にも学生時代はカトリックミッションスクールで過ごしましたので、救い主様の基礎知識だけはあります。でも、それのみです。
めでたし聖寵満ちみてる聖母マリア様が、神の独り子をお産みになった記念日がはや近づいています。街は電飾に飾られてお祭りムードです。酒の入った現世のパーティーを眺めて天使達はどんな気持ちになるのかしらとも思います。
クリスマスプレゼントに頭を悩ませる親達、帰省の段取りに忙しい子供達。そこにはきっと温かな笑顔があり、懐かしい輪が広がるはずです。
母になり想う事は、なんと私は不敬にも聖母マリア様の事です。祝福された神様の子であっても、幼い救い主を抱えて3時間おきのお乳で寝不足になったのかしら、と。
磔刑の後、腕の中に戻ってきた冷たい我が子を抱いた母の胸中をも。