あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

創作:『夏酔い奇譚』(続き?)

http://akarinomori.hatenablog.com/entry/2018/07/13/173138

 

↑の続きみたいなやつ、つらつら。

 

⤵ 侍と、私(商人)、ちょっと面倒な関係について。

 

 

 竜殺し。

 そんな物騒な文言は、今、手にしている瓦版のどこにも載ってはいない。木組みの台の上、声を枯らして派手な身振りで、瓦版屋の男は目の覚めるような巧妙な呼び入れをしていた。どこそこに火つけがあったの、誰それが裏金をばら撒いているの、空き家の取り壊しで由緒ある仏様が掘り出されたの、言葉巧みに往来の面々を呼び止める初老の男から、ついぞ、昨日の一大事は喧伝されはしなかった。

 「竜殺し」

 改めて呟いてみたが、とうの自分も実感がない。大川の側で、我が眼で見届けた前代未聞の「大罪」であるのに、まるで絵空事か化け狐の幻惑かのようなおぼつかない心持ちでこれを持て余している。

 隣町の隠居宅へこれから頼まれ物を届けに上がる。急を要する品でもないので、通い慣れた道をいつもの具合で歩いている。だからなのだろう、余計に要らぬことばかりが頭をかすめて仕方がない。何となく手に取った瓦版を、こうして見るともなく懐から取り出して眺めるだけの悠長をしている。

 「夢でもみたのだろうか」

 水面に踊った巨大なアレと、凄まじい水飛沫の中で白刃を一閃させる若侍と、飛び散る赤黒い血と、天から睨み付ける鏡のような「眼」と。

 胸にははっきり焼き付いているのに、見定めようとした途端に遠ざかる。逃げ水の如き頼りない記憶である。そもそも自分は、アレを何故「竜」と思ったのか。

 どのような有様であったか、まともに見極められもしなかったのに、である。自分を背にして、眼前に立ちはだかる痩躯の侍がそう口走ったから、これに違いないと思ったに過ぎない。

 返り血で染まった刀を握って、若い侍は笑っていた。

 虎退治をすると言って、時の将軍に屏風の虎を追い出してくれと所望した一休禅師の逸話が、頭に浮かんでは消えた。人というのはおかしなもので、気が動転している時に限って、何の脈略もない事を思い出してしまうらしい。

 切り伏せられ、水柱を上げて元の川面に沈んだ物の怪を見下ろし、若侍は忌々しそうに袖口で頬の血糊を拭っていた。汚れた刀は乱暴に一振りしたきり鞘に納めたが、後で錆びはせぬかと、私はここまで余計な世話を心で焼いていた。

 流れのさして速くはない川ではあった。瞬く間に水泡は押し流されて、すんと澄ました元の表情で水を湛えていた。

 「悪さをする輩もおるのだ」

 軽く裾をはたいて侍が言った。

 「あ、はあ」

 腰を抜かしてしまっていた私は助け起こされて、茶運び傀儡の人形のように呆けた顔で立ち上がった。

 間もなく彼とは川の袂で別れて、それきりとなってしまったのだった。

 使いの途中で足を止めた辺りはちょうど目の前が橋のかかりであった。下に流れる大川の水は、今日も満々と青いうねりを見せている。見慣れたこの水流のどこかに、我々の計り知れぬ異形の影が蠢いていると言うのは奇異である。馬鹿々々しいと一蹴出来ればどんなに心安かろう。私はふらふらと欄干に歩み寄った。

 橋の表を足早に往来する人々が、急に呑気で底の知れぬ能天気に思われてきてしまった。かく言う自分とて、つい昨日までは、天下泰平のその能天気を絵に描いたようにして暮らしていたのだ。人という生き物は真に仕方の無いものだと思う。

 「悪さをする竜」

 重くその言葉が、肩にのしかかった。

 「おいおい、おめさん、そんなに川を覗き込んでちゃあ、魅入られちまうよ」

 離れがたく欄干に寄りかかっていた私に、その時、涼しい声が掛けられた。

 弾かれたように顔を上げると、相手は下駄の歯を快く打ち鳴らしながら近寄って来た。

 やはり昨日のような気流しに、見覚えのある大小を二本ぶら下げている。

 「旦那」

 「油売るのは陽が陰ってからにしな、昨今のこの陽気じゃあ、脳天の先からうだっちまうぜ」

 気安く欄干にもたれかかり、気の良い笑顔をこちらに向ける。

 相変わらず惚れ惚れするような男振りである。奥向きの女房衆も放ってはおくまいと、私はまた余計な事を考えなどした。

 「商売の最中だろう」

 私の手の中の包みに目を止めながら、相手が顎をしゃくった。

 「相手さんを待たせるのは、色町だけにしとくがいいぜ」

 「何でございますか」

 不調法な私には、握り拳に小指を立てている若侍の意図が汲み取れなかった。

 「つれぬ、つれない池の鯉とか、あだや忘れぬ真の恋は、流れに勝てぬ浮葉のそれの想いの影にぞ、泣かれける」

 節を付けて良い声で歌う侍は、どうも女郎屋で流行っている戯れ歌らしいものを捻ったようだ。謡のしまいには、妙に婀娜めいたニヤニヤ顔で、艶事には一切頓着せぬ私へ視線を流して寄越した。しらふとは勝手に推察していたが、案外、廓帰りのほろ酔いであったのであろうか。にしても、酒の匂いもせぬし、歩容もしっかりとしている。また例によって、戯言の類でもあろうか。だとすれば、随分と、馬鹿にしている。

 そんな事をつらつらと行きつ戻りつしていたところ、また彼からこちらに声が掛かった。

 「なあ、昨日の竜殺しの事なんだが」

 腹に響く甘く低い声でこう切り出され、私の身は一気に引き締まった。襟首をグッと掴まれる思いがした。

 鼻先で嗤った侍が、今度は、実際に私の首へ腕を絡ませ、顔を近付けて息を顰めた。

 袖に隠れて分からなかったが、触れて来るその腕の感触は、練り合された鋼の糸の如き抗いがたいしなやかさを持っていた。

 「やっぱり、おめさんには、アレが見えてたんだな」

 男の影が、私の肩を抱いた。

 「おめさんに話がある、ちょっとそこまで顔かしてくんねえか」

 否も応もなく、私はいつぞやの茶運び傀儡に戻って、ひょっこりと頷くばかりであった。

 

 

 

⤵つーびーこんてぃにゅー……すんのかな?