あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

築城

 物に対する決まった形を望まないのが、主人が持つ特徴の一つだと思います。食べ物の好き嫌いが無いので、晩御飯のメニューにオーダーはありません(ただし、出された物が美味しいかそうでないかは辛辣に評価します、こちらサイドは多少の面倒臭さを感じます)。週末の予定はあっても良いし、無くても別に気にはならないようです。着心地に満足出来れば、ジャージでもスーツでもこだわりはありません。ブランド物を望む訳でもなく(ユニクロだって”ブランド”ですよね)、TシャツとGパンでどこでも出かけます。ドレスコードがある場所には気を付けてはいるようですが、見栄えを気にしているようでも、優先されるものはもっと別の何かです。

 主人が唯一、譲らないのが「時間」と「約束」。彼を激怒させようと思ったら、とにかく時間にルーズで、決められた約束をバンバン破れば一発です。今いる場所が予約の取れない一流レストランの店内であっても、高級ホテルのラウンジであっても、一日掛けて登り切った山の頂上だろうと、怒髪天を突いた彼は回れ右でサッサと元来た道を帰っていくでしょう。

 そんな主人の価値観は、私のそれとずーっとかけ離れた所で存在しています。住む場所についてもそう。幼い頃、私は大阪府の府営住宅で暮らしていました。10代になってからは父の実家・和歌山県の田舎家を取り壊した後に新築した一戸建てに住みました。賃貸と一軒家を経験して思うのは「地面の上に建った、隣近所と接近していない戸建ては最高(出来れば平屋希望)」という事でした。

 しかし、主人は筋金入りの賃貸派。「土地に根付く」と言う事を好んではいない様子。マンションであろうと、一戸建てであろうと持ち家であるのが嫌なようです(そういう主人の実家は熊本県兼業農家、勿論、それなりの一戸建て)。理由は幾つかあります。まずは「身軽に動けなくなる」という事。住み替えたい、あるいは別の理由で移動しなくてはならなくなったとしても、持ち家であれば管理をどうするかが問題になります。それからこれも関連しての事ですが手持ちの家が古くなりメンテナンスが必要になれば「別途費用が掛かる」という事。ローンが済んだと思ったら、そろそろ建物も修理が必要な頃合いになってきます。そこで固定資産税を払いつつ、家屋にも手を入れなければならない、これは二重に家計に響いて来るという訳です。更には、持ち主である私達夫婦が年を取り、連れ合いの一方が亡くなり、あるいは入院し、あるいは介護無しでは動けなくなった時、誰かの手を借りる為にせっかくの家を出なければならなくなったとして、残された土地・建物をどうするか。息子が2人いるので、財産分与するなり、または彼等のどちらかと住むなり(同居してくれるという前提)、それ相応の面倒があるという事。何より、仮に息子達が家庭を持ったとして、果たして私や主人が子供達夫婦と住みたい想いがあるかと言うと……そうでもない。だとしたら、家購入の為に掛かる、決して安いとは言い難い金銭を、賃貸に住みつつ有意義に(旅行費用、学費、日々の生活向上などに充てて)使用した方が、恐らく満足感も大きいのではないか、と。まあ、これらが主人の主張の大まかです。

 家賃=掛け捨て、と考えれば虚しいかも知れません。でも「必要経費」として視点を変えれば毎月の保険料や食費や光熱費と同じレベルの話です。賃貸派のデメリットは、この住居費という「必要経費」プラス、老後の蓄え(養老院に入所する為であったり、万が一の入院費であったりの貯蓄)を考えないといけない所です。これも主人曰く「気に入らないと思ったらドンドン住み替えて行ける気楽さを得る為の、ある種の担保みたいなもの」だそうで、フットワーク軽く生きる彼の考えには、何ら影響は与えていないようです。

 確かに、今住んでいる東京で、庭付き一戸建てを購入するとなると莫大な金銭が必要でしょう。しかも、我が家の家計に見合ったレベルで言えば、それこそキュキュっとコンパクトな建売で御隣とも窓を開ければ顔を突き合せるような接近した物件でありましょう。年老いてからは田舎で暮らすよりも、利便性の良い都会(あるいは郊外)で、と思っている私にとって、都内に庭付き一戸建ては夢物語です。幸運にも条件の良い平屋を購入出来たとしても、足腰に不自由が出て来た時、果たして家屋を維持管理していけるのでしょうか。

 主人がそういった事を見越して賃貸派を貫いているのかは分かりませんが、私もこの頃、一見「安定」に見えるものでも、よくよく自分のライフスタイルに照らし合わせてみると案外「安定でもないなあ」と思えるようになってまいりました。また、もう少し時間が経てば、別の考え方も生まれて来るのかも知れませんが、今のところは「賃貸生活も悪く無い」というのに落ち着いています。

 人が言う「我が城」の購入は、なるほど一生に一度の夢でしょう。とても我が家では成し遂げられない事かも知れません。

 ただ、ちょっとだけ羨みながらも、気ままに暮らす楽しみさえも見出してしまっている自分の不真面目さ。

 フラフラと浮草のように、楽天の空の下を、あっちに流れこっちに流れ、時々、白い花を咲かせて喜んでいるのも、それはそれで面白い悪趣味であるのかも知れませんよね。