主人という人の、仕事というもの。
電話口の向こうの相手が誰だかは解りませんが、先に帰宅していた主人は仕事机に座り、かなり険しい表情でその電話先の相手を叱責していました。私は子供達を玄関先からリビングの方へと誘導したのですが、父親の在宅を喜ぶ彼等はすぐに主人の仕事部屋へ群がろうとします。専門用語や個人名が、固い口調で話し込む主人から途切れる事無く発せられる中、私は幾度か子供達を彼の仕事部屋から追い出そうと試みました。が、駄目でした。一方、仕事モードに入っている主人には、仕事机の引き出しを勝手にまさぐっている次男や、机に置いてあったキーホルダーに手を伸ばす長男は、まるでそこにいないかのように見えてはいません。ノートパソコンのデスクトップには、業者から送られて来た添付ファイルが開いています。図面を見ながら注意深く、でも少し苛立った様子で話し続ける主人。
帰宅後は、もし主人が在宅しているなら子供の風呂をお願いしようと考えていたのですが、諦めました。スイッチの入っている時の主人には「さわらぬ神に祟りなし」です。私は子供を早速、裸に剥いて風呂場に追いやり、キャッキャと騒ぐ二人を芋やカボチャの泥を落とすように洗って、拭き上げます。洗い上がった兄弟に下着だけ着せて夕食づくりに移行。
仕事部屋からは、まだ主人の尖った声が続いていました。今回は、だいぶ御立腹の様子。「俺、前も言ったと思うけど~」とか「そんな事いつまでもしてたら、いずれ完全にそちらを信用出来なくなるよね」とかなかなか冷却しそうにない雲行きであったので、ソワソワしている子供達をまとわりつかせながら夕食を作る事にしました。
我が伴侶ながら、度々、感心するのです。理路整然、立て板に水の如く言葉が流れて行く様はいっそこちらが爽快になる程です。物分かりの悪い相手にも、本当に何度でも理屈を紐解いて根気強く説明を続けます。解らないなら解るまで、理解出来ないなら理解するまで、何もそこまで頑張らなくても、と他人事である私は思うのですが、どうにもそこは彼のポリシーなのでしょう。「必要であるからそうしている」のであって、「無駄だと思えば切る」と彼はあっさり断言しております。器の小さい私には、どうしたらそこまで自信満々に構えていられるのかと、呆れるのを通り越して感動してしまうのですが、そこが主人の主人たる所以でもあって、建設業・獅子座・AB型・九州男児・47歳の「男道」であるかも知れません。
「もうちょっとよく考えてよ」「そういうのはどうでもいいから、とりあえずは新しい議事録と資料よこして」。事務的に淡々と続く主人の声がそれを最後に途切れ、しばらくしてからのっそりと彼がリビングに姿を現しました。重い溜息を一つ、気持ちの切り替えがそれで終わったのか、お父さんの登場に喜んだ息子達の方へと彼は向かって行きました。私は主人の仕事に口を差し挟まない事にしているので、知らぬフリで食事の用意。主人の方から何事かを呼び掛けられるまで黙っています。男性に限った事ではないでしょうけれど、普段、愚痴を言わない人へ、不用意な詮索はお節介であるでしょうし、越権でもあるでしょう。仕事を持つ私自身にも当てはまる事ですが、門外漢や事の詳細を知らない相手に不躾に領域へ踏み込まれても迷惑なだけです。まして、指図される事が嫌いな主人にあれこれ問い質しても仕方ありません。
「まったく……」。モヤモヤとしたものを吐き出すように、リビングの主人はそれだけを呟きました。「お疲れ様」とのみ、私は返し、テーブルに今日の夕食を広げます。食卓に着いた主人は、黙って晩酌を始め、子供達は空腹を訴えて大騒ぎし、またいつものにぎやかな食事風景です。
上手くいっても、上手くいかなくても、結局は「それなり」に収めてしまう主人の度量。仕事での失敗は必ず取り返しますし、厳しいながらも部下を無下に切り離す事はしません。シビアで冷淡な言い方を彼がするのは、それだけ多くの人の生活をその肩に背負っているから。
私も先輩から言われた事で心に残っている事があります。「意見を言って良いのは4年目からだ。(入社したてにペーペーが)一丁前な事言うな」。私個人に対しての物ではなかったのですが、これは胸にズシンと響きました。下でバタバタしている頃には見えない事は本当にたくさんあります。上の人間が、のうのうと暮らしているように思えて羨ましく感じてしまう事もあります。けれども、実際、その立場に立たないと見えてこない状況も、感じられない困難もあると思います。だとしたなら、軽はずみに人を冷酷と決めつけるのは随分と早とちりな事でもあるように感じるのですよね。
「大変だね」と、私が声を掛けると「大変だよ」と、主人が笑います。
恨まれてナンボ、鬱陶しがられてナンボ。主人だとてそれは覚悟しての事なのだと思います。自分が煙たがられるのと引き換えに、任されているプロジェクトが成功するのであれば、それこそが本望であるのでしょう。
どこを目指しているのか。何を目指しているのか。どれほどその人が遠い場所を眺めているのか。きっと、そういう望むべきものの形の違いが、彼等の言動の違いに反映されるのでしょうね。
主人はいつでも「大丈夫」なのです。私が心配する事は、何もないのです。彼の目指す先、望むべき形は、彼が緻密に計算し、懸命に努力し、勝ち取っていくものなのですから。
私はただ、時々、無責任にそばで溜息を吐いていればいいんです。「大変だね」と。