あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

楽天道

 玄関を開けると朝の涼やかな空気と共に、栗の花の濃密な匂いが吹き込んできます。遠目にも薄黄色の粉を振り掛けたように見えるほど、植えられた栗の樹々は今、花盛りです。不思議な事に栗の木は山桜や南天のように、人の気配の無い所で人知れず育っているというのをあまり見かけません。栗畑は言うに及ばず、人家の脇であったり、誰かが手入れしている雑木林であったり、必ずと言って良い程、立派な親木は人の生活に寄り添って生きています。山道を車で走っていた両親が、偶然にも道路いっぱいに落ちている栗のイガを見つけ、自動車を路肩に止めてせっせと栗拾いに興じていると、側を通りかかった農家の人に「人様の物を盗むものじゃない。それはうちの栗だから」と叱られた事があるそうです。欲張って集めに集めた栗の実は結局置いて帰って来たとの事で、やはり人に寄り添うようにして育つ栗はつとに馴染み深い木の実であるのは間違いないようです。

 ただ、馴染みある栗の木も、強烈なあの青い匂いに苦手意識を持つ人は少なからずいるのではないかと思います。かく言う私も、雨上がりの急に気温が上がった日などには、息が詰まる程の例の香気についつい怯んでしまいます。夏草を磨り潰したような匂いと言うのでしょうか、薬草じみた匂いです。

 春の草木にも薫り高い物は数多ありますが、夏は夏でまた個性的で印象的な香りを放つ物が多いです。クチナシ、バラ、ユリ、ミカン。シソ、ワサビなどのハーブも夏がシーズンですよね。

 俳句で言えば「香水」は夏の季語です。ついつい油断すると体臭が強くなってしまう季節、ほどよい香気はエチケットの為には、時に心強い味方になってくれるのかも知れません。近頃ではコロンのように香る柔軟剤も流行りを迎えて、朝からずーっと良い香り、飲み会の席でも爽やかさ持続、などを謳い文句にしています。平安時代には着物に香を焚きしめて、その優雅な趣きに心躍らせてみたりする民族の我々。世界の中でも稀な程体臭が薄いからこそ、匂いについて敏感になっていくのも道理なのでしょうか。しかし、この敏感さが、少々裏目に出る事があるのです。

 私は、デパートの化粧品売り場を通る時、実は息を止めて通過しております。広い面積を各ブースが連なっておる場所では、極力、足早に、そして人通りの少ない場所では軽く息継ぎをしつつ通り過ぎるのです。若い頃からそうでした。通路に漂う密集した花のような香り、少し粉っぽい様なむせるような、また僅かばかりの油脂の匂い。足を踏み入れたが最後、進めば進む程、喉がイガイガして鼻が詰まって来るのです。軽い花粉症のような症状と言うのでしょうか、唾を飲み込むのさえ顔をしかめたくなってくるのです。おかしな話ですが、自分が持っている化粧品ですら、顔へ施している最中でも埃っぽく感じます。つわりの頃は更に駄目でした。柔軟剤の微香ですら、鼻を摘まんだまま洗濯物を畳んでおりました。

 そんな私なので、日常生活でメイクはほとんどしません。どれほど肌に自信があるかという自慢話ではなくて、単に辛いのです。「顔に異物が乗っている。毛穴が塞がっていく。」という閉塞感がたまらなく辛いのです。そこへ汗をかこうものなら、容易にぬぐえない訳ではないですか。潰された毛穴の上に、滴る汗、それが乾くと今度は塩分がベタベタして、顔の上がちょっとした「塩田」のようになってしまいます。ティッシュで瞬間的に押さえたとしても幾らか「塗り」は崩れるわけですし、一番、悲しいのはまだまだ幼い子供達と頬を擦り合わせてのスキンシップが取れないという事なのです。未就学児というのは、ビックリするほど親密にぶつかって来ます。抱き上げれば遠慮なく顔を触りに来ますし、眠ければ眠いなりにもっともっと密着してきます。どんなにナチュラルな成分で製造されていようとも、化粧品はあくまでも彼等の肌にとっては異物。私の側の化粧崩れもさることながら、子供達にラメだのパールだのが入った粉を触って欲しくはないと思うんですよね。

 染みだってソバカスだって皺だってクマだって、もう40歳の女なんですもの、至る所にてんこ盛りです。隠せるものなら隠したいですけれど、それでも皮膚の上にもう一枚の、あのねっとりとした何かが覆い被さっている感覚が苦手なので仕方ありません。式典や面接や訪問来客、折々には薄化粧を施しますが、その後のクレンジングも肌荒れの原因になるので悲しいです。日々の洗顔は、そういう訳でというのではないのですが「湯」のみです。こすらずに、余分な皮脂を流すだけ。石鹸は使用しません。読んでそのまま「湯」だけで顔の表面を流します。ですから、朝起きたら冷水で濯ぎ(場合により蒸しタオルで拭います)、夜はお風呂で身体を洗うついでに洗顔。簡単です。それ以外の手入れ(そう呼べるのかさえ疑問ですが)は、小鼻の横は皮脂の分泌が盛んなので、指の腹でそこを軽く撫でた後、ぱさぱさとした頬にその油分を塗り広げるようなイメージでマッサージします。そう、それだけ。それ以外、何もしていません。ニキビトラブルも、肌荒れも、今のところ大丈夫です。必要以上に脂を落とすと、皮膚が防衛反応で過剰に脂を作り出す、と聞いた事がありました。そうして、余っている所の脂を足りない所で消費していると、自然に肌自体が必要分の脂のみを作り出すようになるとか。真実か真実でないかの見極めは本人に任せるとして、とにかくこれは楽ちんです。40歳超えると「楽ちん」に勝るものは無くなるので、恐ろしいですよね。

 自然でいる事は、別に肩肘張る事ではないと思っています。この自然食品でなければ駄目だ、とか、こういう入浴方法が絶対良いのだ、とか、握り拳作らなくて良いんじゃあないかなと思っています。子供がいるので少々食べ物には敏感ではありますが、自分自身は結構添加物の多い食生活を送っていると思います。玄米も悪く無いですが、やっぱり白い御飯は美味しいです。心がける事と言ったら、まずは自分自身が「自分にとって」不自然だ、と思うような事をしない事です。私の場合、たまたまそれが、香水(香料など)であったり、化粧品であったりするのですが、生き方そのものを見つめてみれば人間関係であったり働き方であったりするかも知れませんね。もう怖い物は無い、そう言い切れる年齢に差し掛かって来たからでしょうか、自分がこうありたいなあ、と遠慮なく思える、そして実行し得る年代になってきたからというのもあるのでしょう。

 妙な事なのですが、栗の香りは強烈だけれども、喉が痛くなったり頭が重くなったりはしないんですよね。むせるような香りの花達も、それでも私を暗い気持ちにさせたりはしないんです。自然であるから、自然の中に生まれて、そのままの姿であるものは故意に誰も傷付けないという事でしょうか。ナチュラリストでなく、楽天家。私が目指すのはそういうモノです。

まあだだよ。

 最寄りの駅を少し南へ下ると、桜と銀杏の並木で有名な目抜き通りがあります。森有礼が創設した一橋大学はその大通りに跨っており、緑豊かな構内が住民へ随時一般公開されているのも散歩コースには重宝します。一抱えもある樹々が鬱蒼と林を成して学舎を巡り、炎天の日にも重厚な日陰を道に作り出してくれるので、殊に子連れの私には有り難いです。今日は、我が家の幼い人を2人連れて、少し汗ばむ陽気の中をちまちまと散策に赴きました。

 交通量の多い直線道路から一歩門を入れば、もうそこには閑とした日盛りの林。ベビーカーに乗せた次男、リュックを背負った長男、私達を優しく迎えてくれる木漏れ日。

 通路の脇に樹が生い茂っているのか、林の継ぎ目に道が作られているのか。人のスペースと生き物のスペースとを軽く捏ねて、途中で放っぽり出したみたいに大学の至る所が良い意味で奔放な雑木林なのです。手の平ほどもある大きなトンボが飛ぶ水連池、学舎の裏には巨人のような銀杏が伸び上がり、その足元には自然に落ちて芽を出した若木がおよそ人の膝下まで一面びっしり生え広がって。オナガがギャーギャーと騒ぎ立てる頭上を見上げれば、彼等を追い回すカラスのふてぶてしい黒々とした姿。枯れ葉、木の実、もっと多くの有機物、更にその上に枯れ葉、木の実、降り積もり、降り積もり、雨が降り、晴れの日が来て、微生物により分解され、また枯れ葉、木の実、重なり、重なり、こんもりとした土。拾った枝で掘り返せば、ムッとした土の匂いと、ワラワラと逃げるミミズ。木陰になった小高い丘に、かつて学園祭の看板であったのでしょうか、一枚の大きな板が敷かれてあって、白茶けたそれをめくると、バラバラとダンゴムシの群れがにわか雨のように零れて来て、同じくへばり付いていたアリの大群が右往左往と大騒ぎ。もうそうなると子供は狂喜の様子で瞳はキラキラ。小躍りする子等の足元を、丸々太ったトカゲが慌てふためいて矢のように駆け抜けます。

 あれがアメンボだよ、あれがギンヤンマだよ、松ぼっくりが一杯あるね、アリさんを踏み潰さないでね、ほら、ミミズが物凄い速さで土に潜っていくよ、この木の実はなんだろうね、サクランボかな、そうそう、普通の桜のサクランボは食べられないサクランボなんだよ、そうだね、誰が食べるのかな、鳥さんかな。

 あれなあに、これなあに、と指差す長男に、私なりの解釈を添えながら物語を作りながら、素人解説員を買って出る母。いつの間にやら私も子供の頃に還って、草叢に腰掛け、木の枝をツルハシのように使って腐葉土を掘り返したりして、束の間の野遊びに専念いたしておった今日の午前。午後はまた、拾った松ぼっくりを自然に返すべく、また子供達を連れて夕方の散歩。近くの樹林地に出掛けて一つ一つ丁寧に、長男は松ぼっくりを神様にお返ししておりました。

 木の葉のお金、不思議の木の実、それから時々ダンゴムシ。無心になって遊ぶ子等に親である私までもが引き込まれ、しばらく楽しく自由に迷子。ハッと気付いて家路を急ぐ時の、あの懐かしい寂しさと心もとなさ。「もう帰るよ」と念を押しても「これやってから」と急いで滑り台に登り始めたり、親の顔色を確認しながら何度も階段を行き来したり。忘れていたけれども、身に覚えのある、夕暮れのせわしなさ。

 「これからまだお母さん、帰ってから御飯作んなきゃならないんだよ」と、溜息交じりに子供の背中を見守ったりして。

 疲れを知らぬ息子と一緒に「あの日」の私が振り返ります。

 「ねえ、お母さん、後、一回」

 少女だった頃の私が、風に吹かれて走り出して。

思い出のカメリア

 「カメリア・シネンシス」

 この単語を聞いてピンと来る人はかなりの「通」でしょう。

 あるいは、その「業界の方」か「栽培されている方か」だと思われます。

 けれども、私達は「これ」が製品になったものを日常的に目にしていますし、日常的に摂取しておりますし、中には「中毒」の人もいると思われます。上記は学術名なのですが、平たく言えば、答えは「茶」。そう、お茶の木の学名です。

 カメリア=椿、なので、お茶はツバキ科。葉っぱが良く似ているので親戚であると言う事は想像しやすいですよね。無発酵茶(日本茶に代表される緑茶など)、半発酵茶(ウーロン茶などの微生物の助けによる発酵をある程度した茶)、発酵茶(代表は紅茶でしょうか)に使用される茶葉は全て同じ茶の木であると言うのは、今では一部の方の常識にもなっている事でしょうか。専門店も至る場所にありますし、情報発信は各所から行われていますので。

 私がこの事実を知ったのは、恥ずかしながら前職のお陰です。私の前職は、専門学校の技術職員でした。分野は「製パン」です。そう、食パンだのフランスパンだのといったその「パン」の製造技術や精製理論を教える職員でした。20代から30代中頃までを務めましたから、今のところ個人的な職歴としては最長です。ちなみに大学を卒業してすぐに関わったのが出版の世界。しかし、作家業ではなくて地方情報誌を発行する零細企業の事務職です。就職して間もなく、私の面倒を見てくれていた先輩男性がなんと出社拒否。右も左も分からない私は、押し寄せる不慣れな事務仕事で溺れる寸前まで追い詰められ体調を崩してしまいました。出来たてホヤホヤの新卒女子を病みの領域まで追い込むのですから、考えてみればかなりのブラック企業であったのでしょう。辞職してからはしばらく自宅で宙ぶらりんな生活を経験。でも、再起を決してアルバイトを始めました。元々食べる事が好きだった私はパン屋にお世話になりました。そこで出会った若い職人の女の子が、元製パン技術専門学校の学生だった事を知り、一念発起。20代半ばで10代の子等に混じって再び「学生」になったのでした。一年間、製パンを学問的に学んで、さて「再就職」と言う折になり職人としてやっていくかどうするか、の選択の帰路へ。と、同時に、偶然にも当専門学校が職員を募集している事を知りました。応募資格はその専門学校の卒業生である事と、20代までである事。大学では教職の免許を取得しておりました私(先生になる道も当時は考えていたんですよね)は、その時にはパン作りも大好きになっておりましたし、もしかしたらこれは良いチャンスに巡り合えたのかも、と受験に踏み切りまして、有り難い事に採用通知を頂きました。

 正直に言うと、どの職場であろうと苦労は付き物です。順風満帆である事の方が珍しいでしょう。再就職をしてからも、日々、様々な事にぶつかり、泣きましたし、怒りましたし、暴れましたし、けれどちょっとだけ笑いましたし、バタバタと目まぐるしく濃い経験を重ねました。結婚もしました。子供も授かりました。そうして、10年と少しを過ごした職場から、私は離れました。

 「カメリア・シネンシス」

 この単語は私の思い出の一つです。製パンの授業の中に、アフタヌーンティーの授業、コーヒーの基礎知識習得の授業(基本的な淹れ方の技術実習も)が含まれます。何故なら「パン」(日本が取り入れた西欧文化の中にパン食というのがあります。それは往々にしてヨーロッパ、アメリカの製パン文化を指す事が日本では多いです)の世界、つまり食生活の中に紅茶やコーヒーも切り離せないものとして現代でも存在している為。学生の頃もそうでしたが、技術職員になり、教授陣の助手として授業の準備、講義の補佐、試食の手配・作成をして勉強する中に、自然と身に擦り込まれていく専門用語というのが確かにあります。

 大きく展開するコーヒー専門店、紅茶専門店、があちこちに支店を出す度、日本人がそれを楽しみにし、または列を成して求める姿を目にする度、私はついつい反射的にこの単語を思い浮かべてしまうのです。思い出の一部、断片というのは、もしかしたらそういうモノなのかも知れません。

 そろそろ新茶が出回る季節ですね。各地から、選りすぐりの薫り高い茶が店頭へと運び込まれてきます。紅茶好きなら、ダージリンのファーストフラッシュは外せないですよね。夏も近づく八十八夜。宇治茶、八女茶、狭山に知覧。朝の一杯に、午後のくつろぎに、夕食後の団欒に、お茶は最高の脇役です。

 野にも山にも若葉が茂る~この梅雨入り前の、すがすがしい季節に、気の置けない親しい人と心行くまで美味しいお茶を楽しめたなら、それこそが人生の贅沢と言えないでしょうか。

雑記ing・備忘ing(ザッキーング・ビボーイング)

 書くことが何もない日というのが私には驚くほど少ないです。と言うよりも全く無くて『あかりの森’s blog』が雑記帳の名で私の手元に有る事についてはそれで面目躍如だと思っているんです。ただ書く事が「出来ない」日はあります。雑記帳にまで手が回らない、気分が滅入ってそれどころではない、外出先にいるためにPCを開くことが出来ない、そう言った都合が原因です。たまたま「ブログ」の形を取っているのでデータ上での作業が主になるんですが、そもそも『あかりの森~』は個人的な「公然たる秘密の文書」ですので、誰を喜ばせようとか有意義な情報提供をしようとかの縛りの中に存在しません。アクセス数や閲覧者様のコメントが目に見える形で記録されていく「おもしろ便利帳」、言うなればそのようなモノです。

 だからなのでしょうか。ブログを続けるのに私の場合モチベーションは必要ありません。元を正せば「雑記帳」。メモを書き記すのに「さあ、どっからでもかかってこい、私は書くよ、書いてやんよ、書きまくってやんよーっ!」というテンションはいりません。書くことが無くて困らない代わりに、誰にも待ち遠しく思われていないという強み。仕事ではないから出来る事なんですよね。ブログ更新がノルマの発生する業務であってごらんなさい、それこそ敵前逃亡したくなるというものです。私の悪い面で働くクソ真面目気質は、記事更新が仕事になった瞬間、自身の首を絞めにかかるでしょう。「ああ、今日も更新出来なかった」「何を書けばいいのか分からない、でも書かなくちゃならない。もう、私の頭ってなんでこんなにすっとこどっこいなの!」と髪の毛かきむしってウワーっでしょう。だから余計に、なんですね。人に期待させない、人から期待されないって実はものすごく自由な事なんだと思うんです。私は私の言葉で私の為の記録を付けていく。そして「たまたま」私の記事に出会ってくれた人が親切にも声を掛けてくれたり、「いいね!」のスターマークを放り投げてくれる。もう、それは「ラッキー」であるだけですし、「たなぼた」であるだけですし、掃除の途中で本棚整理してたら置き忘れてたヘソクリgetだぜ!と同じ話であるわけです。

 文章を書くのが好きな私です。上手下手はこの際棚上げしておきます。心に浮かんでくる抽象的な事を、どんな言い回しで料理したら表現出来るだろうかと考えている瞬間が心底楽しい。特定の人に差し上げる文章(例えばメールや手紙)でも、相手の顔を思い浮かべながら、姿を想像しながら手を動かすのが楽しい。そこには自分でなく、自分よりも優先された「その人」が存在しているんですよね。心の中に湧き出す水を、別の器に移すように伝えられたらいいですが、そういう訳にもいかないので何とか自分に成し得る範囲で相手に伝えなくてはなりません。しかも極力、誤解や行き違いがないように、伝えようとする内容と相手が受け取る内容とに生じるズレが少なく済むように。勿論、私というフィルターを通して伝達する訳ですから、そのものズバリとはいかないでしょう。けれどもそれこそが腕の見せ所で、どうやってもすっくりとは伝わらないのですから腹を決めて「私なりの」そのままを何とかして送り出すしかないわけです。こんな言い回しはシャレてるかな、こういう風な言い方も悪くない、これはちょっとオーバーだろうか、いやいやこれくらい派手なニュアンスだと逆に面白みが伝わっていいよね。そんな事を思い巡らせながら、自分のツルツル脳みそを力任せに雑巾絞りするのは、実に苦しくも楽しいエクササイズです。

 天気がいい日があったとして、見上げた空を気持ちが良いと感じたとして、それを「今日はいい日だな、爽快だな」とひっくるめてしまうのではなく引き延ばしたり、縮尺を掛けてみたりクローズアップしたり、それと関連して思い出した苦い思い出の話などを煮詰めて絡めて1000文字ほどの走り書きにしてみる。誰を喜ばせる為でもなく、自分自身の言葉で表現するところから始めてみる、要は私がやってることなんてその程度の事です。

 「今朝は、次男の熱が下がって本当に良かった。病後児保育室に預けてきたけれど、3日前に比べれば泣かなくなった。打たれ強い子だと思う。必ず迎えに来るからねと私が約束すれば、真剣な眼差しで見つめ返してくる。がんばれ、次男。鼻水垂らして、いっぱい遊べ。君と母とがいろんな試練を辛抱出来たら、きっとやってくる週末の喜びは、もっともっと大きいモノになるに違いない。一生懸命、力一杯遊べ。君のオムツ代は、母が必ず稼いでくるから。私と君が信じる明日は、きっといい日に決まってる」

 3日前から熱が出て保育園に預けられない次男を、別の施設で預かってもらうに当たっての文章を例えば、こう書いたとします(病気の次男も、働きに出る母も事実です)。これを文章に残そうとして「次男が風邪を引きました。保育園を休みました。病後児保育室に預けました。」という現実の出来事があったとします。それだけを書けば3行で終わります。そこを自分の言葉で、感情で、小細工で、視点で、遊び心で、良いあんばいに脚色します。「当たらずとも遠からず、そうそう嘘ではないんです。ところどころは拡大解釈です」というお茶目をかますと、後から読み返してみても臨場感があってほどよい「備忘録・雑記帳」になります。

 私のブログ『あかりの森’s blog』の「森」はこうして育っていくのです。時々吹き抜ける風にワサワサと伸び放題の枝を揺らして、我が森の逞しい木々は自由自在に大きくなります。美しくも可愛らしくもない森ですが、暑い日差しに疲れた私に優しい影を投げかけてくれるこの森を、私は結構気に入っています。

ヒステリック・アルチザン

 中学2年生の春。大阪から和歌山に引っ越す折に、習っていたピアノ教室を辞めました。保育園の年長さんから続けていた習い事。きっかけはよくある話、友達がピアノに通っていたから。当然途中で辞めたくなって、根気もやる気も起きなくなりました。幼い頃の私は府営住宅に住んでいたので、家にピアノを置くスペースはありませんでした。それでも教育熱心な母は習い事に関して糸目を付けない人でありましたので、共働きの苦しい家計の中から高級な鍵盤楽器を購入してくれたのでした。先に述べたように、買いはしたもののそのような大型楽器を据える場所は我が家には無く、ほど近い母の実家の離れにその楽器を設置する事になりました。当時、母の実家には母の弟夫婦、その子等が祖父母と同居していましたので、私は気まずいながらもピアノ練習の為にそこへ通わなくてはなりませんでした。当たり前の事ですが、子供の事です、父と母が昼間、就労の為に不在である中、例え近しい親戚の家とは言え、別の家庭に置かれた楽器を触りに行きたいとは思えるはずはありません。練習が億劫になれば技術も上達しないわけで、上達しなければ、毎週のようにピアノの先生に叱られます。先生だとて、私がピアノを習いに来るくらいの子であるのだから、まさか私の「自宅」にピアノが存在していないとは思いませんでしょう。何度注意を受けても上達しない私に業を煮やした相手が、ある日、イライラした声で詰め寄って来ました。「練習して来ないと上手くならないよ、家にピアノ、あるんでしょう!」金切り声に委縮し、泣きながら私は答えたモノです。「ピアノは(自宅には)ありません」

 その時の、先生の凍り付いた顔ったら。

 「言ってはならない一言を言ってしまった」表情というか「触ってはならぬ領域に踏み込んだ」みたいな怯えた眼差しで、彼女は固まりました。

 「……そ、そうなの」

 今になってみれば解ります。もう、大人として、先生の頭の中ではグルングルンあらゆる感情が渦巻いていたのでしょうね。貧しい中でピアノ教室に通う私(と、先生が想像したとして)へ暴言を吐いてしまったかも知れないという懺悔。激昂したとは言え、生徒へ向けられた叱責内容に、近いうちにクレームが入るのではないかと言う恐怖。気の毒な事をしてしまったのは、私の方であったろうと考えます。さぞかし、ショックでしたでしょうねえ、先生が、です。

 

 というような事があったりしたピアノレッスン。ダラダラと日ばかりが過ぎて上達のしようもありません。辞めたい気持ちがあったのは随分以前からなのですが「一度、始めた事は途中で投げ出すものじゃない」という母の信念により、引っ越しという契機が訪れた中学2年生まで「形だけ」私はピアノを習っていた(ことになっている)のでした。お陰様で、音楽に対してアレルギーは起こりませんし、カラオケも上手ではないですがそれなりに音程を外さずこなせますし、子供を寝かし付ける子守唄で苦情が出た事はございません。やぶれかぶれのナニでございますが、芸は身を助く、これは真実。

 一方で真面目に音と向き合ってきた人は私にとって尊敬に値します。耳で聴きとった音階をそのままギターの弦で爪弾く事が出来るとか、鍵盤の上にサラサラと指を滑らせて一曲を作り上げてしまうとか、もう神業かと驚くばかりです。キャッチ―なメロディーが、例えばラジオから流れて来て聞き惚れる、CMに使われていた音楽に心奪われる。言葉の通じない人同士でも音楽を通じて会話出来るその羨ましさ。いいな、凄いな、と何の捻りもない感動の気持ちで胸が一杯になるのです。

 最初に聴き入ったのがメロディーだとして、次にその楽曲が心の底にきちんと沈んでくるのはメロディーにくるまれた魅力的な歌詞が自分の中の何かと共鳴した時なんですよね。曲ありきで後から歌詞を書く方もいらっしゃるでしょうし、歌詞が揺るぎないものであったならそれに導かれるように音が流れ出して来るのでしょう。『もしもピアノが弾けたなら』ではないですが、想いの全てを歌にして誰かに届ける事が出来たなら、本当に本当に素晴らしい事だと常々思っております。

 というような事を、一日のノルマを終えようとしているこの深夜に思い巡らしておりましてですね、即興で歌詞など書いてみました。

 苦情は受け付けません。あしからず。

 作成時間、7分。即興詩人もいいとこです。

 

 

 

「何度目かのベルを少し聴き取れるようになったから

 同じ事の繰り返しに慣らされた僕らにもちょっと進む未来

 すり減らして来た魔法の幾つかは本気で見つけた物じゃなくて

 ありきたりで有り難がって誰かにお勧めされて欲しくなった模型

 

 転んだと思ってしょげてたけど

 しゃがんだんだって気付いてみたら

 見逃していた花の名前も

 初めましてのすばらしさで出会えた

 

 坂道を駆け下りた僕らの翼は

 持て余しながらそれでも光ってて

 震える声で叫びながらも

 明日もずっとここからずっと

 魔法が終わる鉛筆の先で

 真っ白に塗られちゃ駄目だと言った君

 生まれる痛みを熱に変えて

 明日もきっとここからきっと」

 

 (ちょっとポエムな応援歌風。これ、絶対、明日の朝読み返したらこっぱずかしくなるやつですよ)