あかりの森's blog

7歳、3歳の怪獣達と楽天家シングルかーちゃんの雑記帳。主にのほほん、時々、真面目。

雑記ing・備忘ing(ザッキーング・ビボーイング)

 書くことが何もない日というのが私には驚くほど少ないです。と言うよりも全く無くて『あかりの森’s blog』が雑記帳の名で私の手元に有る事についてはそれで面目躍如だと思っているんです。ただ書く事が「出来ない」日はあります。雑記帳にまで手が回らない、気分が滅入ってそれどころではない、外出先にいるためにPCを開くことが出来ない、そう言った都合が原因です。たまたま「ブログ」の形を取っているのでデータ上での作業が主になるんですが、そもそも『あかりの森~』は個人的な「公然たる秘密の文書」ですので、誰を喜ばせようとか有意義な情報提供をしようとかの縛りの中に存在しません。アクセス数や閲覧者様のコメントが目に見える形で記録されていく「おもしろ便利帳」、言うなればそのようなモノです。

 だからなのでしょうか。ブログを続けるのに私の場合モチベーションは必要ありません。元を正せば「雑記帳」。メモを書き記すのに「さあ、どっからでもかかってこい、私は書くよ、書いてやんよ、書きまくってやんよーっ!」というテンションはいりません。書くことが無くて困らない代わりに、誰にも待ち遠しく思われていないという強み。仕事ではないから出来る事なんですよね。ブログ更新がノルマの発生する業務であってごらんなさい、それこそ敵前逃亡したくなるというものです。私の悪い面で働くクソ真面目気質は、記事更新が仕事になった瞬間、自身の首を絞めにかかるでしょう。「ああ、今日も更新出来なかった」「何を書けばいいのか分からない、でも書かなくちゃならない。もう、私の頭ってなんでこんなにすっとこどっこいなの!」と髪の毛かきむしってウワーっでしょう。だから余計に、なんですね。人に期待させない、人から期待されないって実はものすごく自由な事なんだと思うんです。私は私の言葉で私の為の記録を付けていく。そして「たまたま」私の記事に出会ってくれた人が親切にも声を掛けてくれたり、「いいね!」のスターマークを放り投げてくれる。もう、それは「ラッキー」であるだけですし、「たなぼた」であるだけですし、掃除の途中で本棚整理してたら置き忘れてたヘソクリgetだぜ!と同じ話であるわけです。

 文章を書くのが好きな私です。上手下手はこの際棚上げしておきます。心に浮かんでくる抽象的な事を、どんな言い回しで料理したら表現出来るだろうかと考えている瞬間が心底楽しい。特定の人に差し上げる文章(例えばメールや手紙)でも、相手の顔を思い浮かべながら、姿を想像しながら手を動かすのが楽しい。そこには自分でなく、自分よりも優先された「その人」が存在しているんですよね。心の中に湧き出す水を、別の器に移すように伝えられたらいいですが、そういう訳にもいかないので何とか自分に成し得る範囲で相手に伝えなくてはなりません。しかも極力、誤解や行き違いがないように、伝えようとする内容と相手が受け取る内容とに生じるズレが少なく済むように。勿論、私というフィルターを通して伝達する訳ですから、そのものズバリとはいかないでしょう。けれどもそれこそが腕の見せ所で、どうやってもすっくりとは伝わらないのですから腹を決めて「私なりの」そのままを何とかして送り出すしかないわけです。こんな言い回しはシャレてるかな、こういう風な言い方も悪くない、これはちょっとオーバーだろうか、いやいやこれくらい派手なニュアンスだと逆に面白みが伝わっていいよね。そんな事を思い巡らせながら、自分のツルツル脳みそを力任せに雑巾絞りするのは、実に苦しくも楽しいエクササイズです。

 天気がいい日があったとして、見上げた空を気持ちが良いと感じたとして、それを「今日はいい日だな、爽快だな」とひっくるめてしまうのではなく引き延ばしたり、縮尺を掛けてみたりクローズアップしたり、それと関連して思い出した苦い思い出の話などを煮詰めて絡めて1000文字ほどの走り書きにしてみる。誰を喜ばせる為でもなく、自分自身の言葉で表現するところから始めてみる、要は私がやってることなんてその程度の事です。

 「今朝は、次男の熱が下がって本当に良かった。病後児保育室に預けてきたけれど、3日前に比べれば泣かなくなった。打たれ強い子だと思う。必ず迎えに来るからねと私が約束すれば、真剣な眼差しで見つめ返してくる。がんばれ、次男。鼻水垂らして、いっぱい遊べ。君と母とがいろんな試練を辛抱出来たら、きっとやってくる週末の喜びは、もっともっと大きいモノになるに違いない。一生懸命、力一杯遊べ。君のオムツ代は、母が必ず稼いでくるから。私と君が信じる明日は、きっといい日に決まってる」

 3日前から熱が出て保育園に預けられない次男を、別の施設で預かってもらうに当たっての文章を例えば、こう書いたとします(病気の次男も、働きに出る母も事実です)。これを文章に残そうとして「次男が風邪を引きました。保育園を休みました。病後児保育室に預けました。」という現実の出来事があったとします。それだけを書けば3行で終わります。そこを自分の言葉で、感情で、小細工で、視点で、遊び心で、良いあんばいに脚色します。「当たらずとも遠からず、そうそう嘘ではないんです。ところどころは拡大解釈です」というお茶目をかますと、後から読み返してみても臨場感があってほどよい「備忘録・雑記帳」になります。

 私のブログ『あかりの森’s blog』の「森」はこうして育っていくのです。時々吹き抜ける風にワサワサと伸び放題の枝を揺らして、我が森の逞しい木々は自由自在に大きくなります。美しくも可愛らしくもない森ですが、暑い日差しに疲れた私に優しい影を投げかけてくれるこの森を、私は結構気に入っています。