まあだだよ。
最寄りの駅を少し南へ下ると、桜と銀杏の並木で有名な目抜き通りがあります。森有礼が創設した一橋大学はその大通りに跨っており、緑豊かな構内が住民へ随時一般公開されているのも散歩コースには重宝します。一抱えもある樹々が鬱蒼と林を成して学舎を巡り、炎天の日にも重厚な日陰を道に作り出してくれるので、殊に子連れの私には有り難いです。今日は、我が家の幼い人を2人連れて、少し汗ばむ陽気の中をちまちまと散策に赴きました。
交通量の多い直線道路から一歩門を入れば、もうそこには閑とした日盛りの林。ベビーカーに乗せた次男、リュックを背負った長男、私達を優しく迎えてくれる木漏れ日。
通路の脇に樹が生い茂っているのか、林の継ぎ目に道が作られているのか。人のスペースと生き物のスペースとを軽く捏ねて、途中で放っぽり出したみたいに大学の至る所が良い意味で奔放な雑木林なのです。手の平ほどもある大きなトンボが飛ぶ水連池、学舎の裏には巨人のような銀杏が伸び上がり、その足元には自然に落ちて芽を出した若木がおよそ人の膝下まで一面びっしり生え広がって。オナガがギャーギャーと騒ぎ立てる頭上を見上げれば、彼等を追い回すカラスのふてぶてしい黒々とした姿。枯れ葉、木の実、もっと多くの有機物、更にその上に枯れ葉、木の実、降り積もり、降り積もり、雨が降り、晴れの日が来て、微生物により分解され、また枯れ葉、木の実、重なり、重なり、こんもりとした土。拾った枝で掘り返せば、ムッとした土の匂いと、ワラワラと逃げるミミズ。木陰になった小高い丘に、かつて学園祭の看板であったのでしょうか、一枚の大きな板が敷かれてあって、白茶けたそれをめくると、バラバラとダンゴムシの群れがにわか雨のように零れて来て、同じくへばり付いていたアリの大群が右往左往と大騒ぎ。もうそうなると子供は狂喜の様子で瞳はキラキラ。小躍りする子等の足元を、丸々太ったトカゲが慌てふためいて矢のように駆け抜けます。
あれがアメンボだよ、あれがギンヤンマだよ、松ぼっくりが一杯あるね、アリさんを踏み潰さないでね、ほら、ミミズが物凄い速さで土に潜っていくよ、この木の実はなんだろうね、サクランボかな、そうそう、普通の桜のサクランボは食べられないサクランボなんだよ、そうだね、誰が食べるのかな、鳥さんかな。
あれなあに、これなあに、と指差す長男に、私なりの解釈を添えながら物語を作りながら、素人解説員を買って出る母。いつの間にやら私も子供の頃に還って、草叢に腰掛け、木の枝をツルハシのように使って腐葉土を掘り返したりして、束の間の野遊びに専念いたしておった今日の午前。午後はまた、拾った松ぼっくりを自然に返すべく、また子供達を連れて夕方の散歩。近くの樹林地に出掛けて一つ一つ丁寧に、長男は松ぼっくりを神様にお返ししておりました。
木の葉のお金、不思議の木の実、それから時々ダンゴムシ。無心になって遊ぶ子等に親である私までもが引き込まれ、しばらく楽しく自由に迷子。ハッと気付いて家路を急ぐ時の、あの懐かしい寂しさと心もとなさ。「もう帰るよ」と念を押しても「これやってから」と急いで滑り台に登り始めたり、親の顔色を確認しながら何度も階段を行き来したり。忘れていたけれども、身に覚えのある、夕暮れのせわしなさ。
「これからまだお母さん、帰ってから御飯作んなきゃならないんだよ」と、溜息交じりに子供の背中を見守ったりして。
疲れを知らぬ息子と一緒に「あの日」の私が振り返ります。
「ねえ、お母さん、後、一回」
少女だった頃の私が、風に吹かれて走り出して。