早瀬、深淵、とうとうと。
懺悔が簡単に出来てしまうのなら
これほど心が救われる事はないだろう。
すがすがしく拭われる心地よさは
そうおいそれと味わえるものではない。
私達は多くの時間を失敗に費やす。
後悔や無念や悲嘆や憎悪に。
ある一点ではっと我に返って
放り出してきた荷物に気付くのだけれど
もう身体は疲れ切っていて
最初へ立ち返るのも億劫になってしまっている。
仕方なく惰性を選ぶ事もあるだろう。
追い詰められた自分を消去法が労わってくれる事もある。
弱い、と認めてしまうまでには
私達は随分と余計な遠回りを繰り返すのである。
くたくたになって、もう一歩も歩けないとなってから
ようやく、「ああ、なんて自分は小さな存在であったのだろう」と
天を仰ぐのだ。
泣き顔を見せるには遅すぎるように思えたり
弱音を吐くには周りから取り残され過ぎているようにも思える。
詫びの言葉を
申し開きを
適切な言い訳を
無性に誰かに聴いて欲しくなる。
そうかそうかと、ただ黙って頷いて肩を寄せていて欲しくなる。
「望んでそんな事をしたのじゃあない」と
狂人のように叫んで回りたい衝動に駆られる。
寂しい子供をいっぱい抱えて
人は今日を生きている。
人は歩く。
泣き腫らした目を見開いて
また昇る朝日に向かって。
この道は
私が歩くと決めた道。
嘆きの川はとうとうと流れ去る。
正解を問わない優しさと
甘えを許さない厳しさと
野放図にごうごうと
清らかにりんりんと
一人、道を行く私のそばを
川は一筋、
尽きせぬままで。